長いでーす\(^o^)/

司令誘拐事件で、郁ちゃんが記憶喪失&失声症になっちゃった!
っていう捏造エピ話。

うちの堂上さん、エスパーですか?って感じのお話(笑)






俺を呼ぶ声

 

 

 

 

 

「え?記憶喪失??」

 

 

特殊部隊事務室内に緊張が走った。

今、まさに隊員たちが報告を受けたのは、昨日事件解決後に病院で診察を受けていた郁の容態だ。身近に存在しないのに妙に聴き慣れたような、現実離れしたその病状と明るい笑顔を振りまく郁がマッチしなくて困り果てる。

 

「記憶…喪失??」       

 

堂上はもう一度声に出して繰り返してみた。やっぱり繋がるものが見つからなくて、反応の仕方に困惑する。

 

「あとな、その記憶喪失のショックか、失声症にもなってるようなんだが…」

「え……」

「医師の話では、そんな深刻なものではないかもしれないと言ってる。救出の際、手足を縛られた状態で床に転がったようなんだ。その時、どうも頭を打っていたみたいだな。本人、そこら辺も記憶があやふやなんだが。頭を打って気絶した形跡もないし、意識ははっきりしていたんだよな、堂上?」

「あ…はい…」

「ん?どうした。あの時のことで、何か思い出したか?」

「え、いや、なんでもありません」

 

堂上の返答は、明らかに何かあった風でしかない。それに気付かないタスク隊員ではない。心の中で「後で弄るぞ!」と燃えている者が多数いたことに、小牧は密かに手を合わせたのだ。

          

 

 

 

 

昨日、関東特殊部隊は、全総力を小田原に集結させていた。

 

情報歴史資料館を管理し、その中に良化法案が施行に至るまでの闇の部分が明らかになる資料を抱えていた野辺山氏が亡くなり、彼の遺産となる『情報』の全てを関東図書隊に寄贈されることが決定した。

その引き渡しをメディア良化委員会が黙って見過ごすわけも無く。まるで台本があったかのように、小田原の資料館を狙ってきた良化隊と抗争となった。

 

それと同時刻。

野辺山氏の葬儀告別式に参列する稲嶺司令の世話係として、郁が部隊から一人離れて任務にあたっていた。

告別式の最中、どこからともなく侵入してきた怪しい一団に、司令が人質となり誘拐される。彼らの目的は資料館に収められている『情報』の抹消。命と引き換えに、黒い歴史に蓋をしろというのだ。

 

郁は司令のお世話係として、一緒に誘拐されることを選択した。

とにかく司令を守ること。それだけは絶対に遂行しないといけないと、ある意味強迫観念に近い思いで同行を懇願した。

この先の展開など読めない。何が出来るか全くわからないし、自信もない。

だが、この日まで数カ月、歯を喰いしばって熟してきた厳しい訓練や鬼教官の説教が、無駄になるとは思えなかったし、思いたくもなかった。

 

結果、郁の行動は大正解。司令と共に無事に解放されたのは、郁の機転が利いていたからに他ならない。

そしてその肝の据わった郁の行動に、堂上が初めて賞賛の言葉を贈ったのだ。

 

――熱い抱擁と共に。

 

 

 

 

 

「あーん?堂上くーん。一体、何を隠してるんだぁ?」

「絶対に何かあっただろー?」

「お兄さんたちに、正直に話してみようかぁ」

 

 

揶揄いでしかない言動の諸兄たちは軽く無視し、堂上は病院帰りの緒形と共に隊長室へ乗り込んだ。

もっと詳しい郁の様子を緒形から聞き出そうと思ったが、「自分で確認した方がいい」と勧められ、午後一で小牧を伴って病院へ行くことにした。

 

 

 

 

――記憶喪失?

  お前は、全部忘れたのか!?

 

  お前の追いかけたものも、図書隊の理念も

  苦しい訓練も、仲間たちとの時間も

 

  俺が教えたことも

  俺の存在も

 

 

 

  俺が昨日……

 

 

 

 

◆◆

 

 

医師と看護師の先導で病室に入ると、郁はベッドの端っこに腰かけて、遠く窓の外を見つめていた。「笠原さーん」との声かけに顔をこちらに向けるが、一番に目が合ったのは看護師だったようだ。「ご気分はいかがですかぁ?」と質問されて、曖昧に笑みを見せた。

 

「笠原さん。こちらの方、分かります?」

堂上と小牧を初対面の人物に紹介するかのように手で示してみせた医師は、郁の反応の薄さに肩を窄めた。「声をかけてもいいですか」と堂上が伺うと快諾される。

 

 

「笠原、お疲れ。俺が分かるか?」

 

自分でもビックリするくらい、それはそれは優しい問いかけだった。

状況が状況だったら、確実に小牧は床とお友達になっていたに違いない。

郁はチラリと堂上の顔を上目遣いで見て、すぐに視線を足元に落とした。それは「分からない」と答えているようなものだ。

小牧は自分のことが分かるかと聞くことなく、黙って様子を見ていた。堂上のことが分からないのに、自分のことが分かるはずがない、とそこだけは自信満々で。

 

堂上は医師が知っている情報の提供を求めた。

 

 

 

誘拐事件が解決し、現場は大混乱。警察、図書隊、消防(救急)、マスコミ…あらゆる関係者でごった返す中、事件の渦中にいた稲嶺司令と郁は、一応救急搬送されることになった。

病院までの短い道のりで、郁は急に睡魔に襲われ熟睡する。救急隊員は極度の緊張から解き放たれて疲れが出たのだろうくらいにしか思わず、脈拍や血圧に異常が見られない事を幸いに声をかけることなく寝かせておいてくれた。

 

病院に到着し、まず目覚めた郁が放った言葉は「あたし、どうしたの?」だった。

救急隊員と病院スタッフから、事件のあらましを聞いても理解できない表情で。挙句「ここは何処?茨城ではないの?」と言い始め、皆を困惑させたらしい。

外傷はさほど無く軽い手当で済んだので、急いで脳神経外科へ回された。そこで大まかな検査を受け、医師と話をしたところ「軽い記憶喪失ではないか」という診断に至ったそうだ。

が、緒形に容態を説明しているのを郁に聞かれてしまい、記憶喪失だということにかなりのショックを受けたようだ。そこから郁は、話そうとしても声が出ない、所謂『失声症』の症状がでてしまったという。

 

 

「どちらも心的ストレスが大きくて現れる症状とも言えます。特に笠原さんは、頭部外傷は全く見られない。正常としか言いようがないです。記憶の方も、ストレスが無くなれば戻ってくる可能性は高いでしょう」

 

医師の説明を聞きながら、堂上は背中に冷や汗が流れるのを感じていた。

郁が受けた「ストレス」とは、一体どんなものを指すのだろう。

例えば―――

昨日自分がとった行動は、郁にとってストレスとなるものだったのだろうか…。

 

良くないことが頭に浮かぶ。

いや、逆にそれが原因だと言ってもらえたら、いくらでも謝罪して郁に許しを請うのに。

そうしたらまた、あのやたらと元気な毎日が戻ってくるだろうか。

やっと図書隊員として認めてやれた郁と、この先もずっと共に戦っていけるだろうか。

 

 

 

やっと、だ。

やっと心から認めてやれたんだ。

もう、遠ざけることはしないと決めた。

どこまでも付いてくると言うのなら、それだけの技術を叩き込ませるだけだ。

図書隊員としてどこに出しても恥ずかしくないように。

一人で傷ついてしまわないように。

 

あの笑顔を―――

 

 

あの声を―――

 

 

 

 

 

「堂上。大丈夫、笠原さんは思い出してくれるよ。俺たちのこと」

「ああ、そうだな」

 

小牧の励ましに納得いくだけの根拠は無い。逆に思い出したくなくて、綺麗さっぱり忘れられるんじゃないかと言うなら、思い当たる節がいくつもあった。

どうしてこんな風に思うほどの扱きをしてきてしまったのか、と少しの後悔が堂上を襲う。途端に眉間に皺が寄ったのを郁はじっと見つめていた。

 

「とりあえず、あと2日ほど入院してもらって。精密検査を進めます」

「はい。よろしくお願いします」

 

堂上と小牧は丁寧に医師に挨拶をして、郁に向き合い「また来る」と言って退室しようとした。

何の躊躇も無く部屋を出る小牧に対し、堂上はすぐに足を止めて振り返る。

ベッドの上の郁は、入隊したての頃のように少し心細そうに眉を下げていた。

 

堂上は衝動的に郁の元へ引き返す。

背中を丸め上目遣いの郁を見下ろしながら、手は郁の頭の上に自然に乗せられた。

髪を混ぜ、掌が二度弾んだ。

 

「また明日」

 

言って踵を返す堂上を、縋るような表情で郁の視線だけが追った。

その瞬間の郁の変化を見ていた医師が、すぐに堂上たちを追いかけ「あなたがきっかけになるかもしれない」と爆弾を落としていったことに対して、小牧に厳重なる箝口令を敷いた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

翌日の課業後。

堂上は一人、郁の病室まで来た。いくら上官だとは言っても、相手は女性である。それに郁は堂上が何者なのか分かっていない。二人きりになることに躊躇する。

どんな距離で話をしたらいいのか、どこまで現実の話を伝えたらいいのか、タスクの中でも相談してきたのだが、自分にこの重要な役目が果たせるのか…甚だ疑問であった。

悶々としながらノックをし、ドアを開けると「まあ!」と明るい声が聴こえてきた。

 

「っ!し、柴崎…」

「あらー、堂上きょうかーん。お疲れさまですぅ」

能天気な明るい声に、少々ムッとしながらも「お疲れ」と返す。

 

「笠原、堂上教官よ」

柴崎の言葉に、郁は小さく頭を下げた。その様子を微笑みながら見ている柴崎に、堂上は問いかける。

「お前のことは…分かるのか?」

「まさか。この子の記憶、多分、高校生くらいで止まってますよ」

「え!高校生だと!?」

 

堂上の反応は至極全うだ。

高校生の郁、と言ったら堂上にとってはあの日の少女でしかないのだ。

となると…郁の記憶は、高校生のどの時点まで覚えているのか…気になる所だ。

 

「ふふ。教官、笠原と話したいみたいですね。私、ちょっと席外しますから。ごゆっくりどーぞー

「…くぅっ…」

何とも言えず、悔しい気持ちしか沸いてこない。「この女、どこまで知っていやがる!」と心の中で毒づいてみる。

柴崎が部屋から出て行くと、郁のちょっと緊張した空気が伝わってきた。

それでなくともストレスでこのような状態になっている郁だ。これ以上の負荷は拙いと思い至り、堂上は努めて冷静を装い笑顔を思い出しながら作ってみる。

 

「笠原の話を聞きたいんだが、まだ声は出ないのか」

郁は静かに頷き、更にベッドサイドからノートとペンを取り出した。

「筆談、か」

堂上と目が合うとニコリと笑顔を見せる。それは入隊してから初めて見る、純粋な少女のような笑顔だった。

――何故か、秋の日の涙を溜めた女子高生を想い出した。

 

 

郁がペンを走らせ、堂上からの質問に答えていく形で話を進めた。

その中で、堂上が一番知りたいと思っていたことが判明した。そしてそれは、堂上に衝撃を与えるものだった。

 

暫くして柴崎が戻ってくる。病室に入った瞬間、何やら不穏な空気が堂上から漂っていることに気付いた柴崎は、こっそりと溜め息を吐きながら「お話終わりましたぁ?」と探りを入れた。

 

「ああ。今日はとりあえずこれで帰るとする」

「そうですか。お疲れ様でした」

「明日、午前中に副隊長が担当医に呼ばれてるんだ。そこで今後のことが決まっていくと思う。きっとすぐに退院できるから、もう暫くの我慢だ」

 

ベッド脇のパイプ椅子に腰かけていた堂上が立ち上がると、郁は上目遣いでその動きを追う。堂上の一挙手一投足から目が離せないといった感じに見える。

そんな子供のような郁の仕草に、実は昨日からヤラレっぱなしの堂上は軽い眩暈を覚えながら、今日までの「鬼教官」というポジションからどうやって脱却したらいいのかと思い巡らせる。

とりあえず。子供をあやす様に。ご機嫌伺いの延長のつもりで。

 

堂上は郁の頭に手を乗せた。

 

 

―――早く戻って来い

 

気持ちを乗せて、心の奥の懐かしさには蓋をして。

名残惜しい気持ちを隠すように、少しだけ乱暴に髪を混ぜて手を離そうとした。

その手を――――郁が咄嗟に両手で掴んだ。

 

 

「ど、どうした、笠原」

郁は慌ててペンを執った。離れていった手の感覚が、堂上には少し寂しかった。

 

ノートに何かを書いて、一呼吸、堂上を見上げた。

書いたものを見せるのを躊躇っているようだ。

堂上が殊更優しく「どうした」と問うと、意を決した瞳でノートを差し出す。堂上はそれを覗き込んだ。

 

で、思わず仰け反った。柴崎が吹き出す程度に。

 

 

 

 

 【あなたが王子様ですか?】

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

病院から寮へ帰ると、ほどなくして小牧来訪。予想していただけに堂上は慌てることなく、小牧が少し不満気だ。

 

「なんの用だ。俺は今帰ったばかりなんだが?」

「いやー。ウチの王子様がどんな顔をして帰ってくるのか、興味があったからさぁ」

「……柴崎めっ!」

 

小牧が乾いた笑いを響かせた。

 

 

 

郁が覚えている記憶は、堂上が恐れていた「運命の日を迎えた」高校生の頃までで、その後の大学の4年間や図書隊入隊などは全く覚えていなかった。

その衝撃の事実に悩まされながら、郁が覚えている記憶の中でどんな感情を持っているのか、少しずつ聞き出すことができた。

 

それは堂上の気分を高揚させるものであった。

 

郁は高校3年生。大好きな本の発売日に立ち寄った本屋で、自分が買い求めようとしたものが良化隊の手によって「検閲対象図書」として処分されるところに出くわした。

それは本当に悲しくて。怒りも沸いて。何より、どうしてもその本が読みたくて仕方がなかった。ここまで来たのだ、どんなことをしても自分の手に入れたいと強く願った。

 

見つからないようにそっと背後に隠してみたが、すぐに良化隊員に発見されてしまう。

無理矢理に奪い取られそうになりながら、郁はそれを阻止しようと必死になった。

しかし勢いをコントロールされ手元から本が奪われる時、身体のバランスを失って後ろへ倒れそうになったのだが―――背後から抱きとめてくれた人がいた。

 

彼は「関東図書隊」を名乗った。

見計らいとかいう制度を使って、その時に検閲対象となっていた全ての図書を買い上げたらしい。

 

郁が「らしい」と言うのには訳がある。

その時は、自分のことで精一杯で助けてくれた図書隊員の背中しか見ていなかった。

お礼も言えずに別れたことを激しく後悔した郁は、後日、その書店へ出向いて店員などから知っていることを教えてもらおうと奔走する。

結果は芳しいものではなかった。想像していたよりも、助けてくれた図書隊員の素性は分からなかった。いや…ハッキリ言って何も分からなかったのだ。

 

 

【あたし、どうしても会いたいんです】

「会ってどうするんだ」

【お礼が、言いたい。ただそれだけです】

「そんなの、そいつにとってはどうでもいいことかもしれんぞ」

【だとしても、あたしはお礼がしたいんです】

「・・・」

【あの人に、大切な本を守ってもらったから】

 

 

図書隊員として、決して犯してはいけないボーダーラインを超えた。

あの頃はまだ若くて、図書隊員として掲げる『守りたいもの』の存在は、とても抽象的で捉えようのないものだと感じていた。

ところが、研修で行っていた茨城の、ふらりと立ち寄った小さな本屋で遭遇した検閲の瞬間に、それまで抽象的だと思っていたものが具体的な形となって目の前に現れたのを感じた。

 

あの時、『守りたい』と思わせてくれた唯一無二の存在が、今、目の前にいる。

守ってもらったことを感謝していると言う。

『守りたい』と思ったものを『守ってあげられた』のだ。

 

自分のしたことを心から認めて貰えた、初めての瞬間だった。

嬉しさが込み上げる。

長いこと自分自身も触れてこなかった闇の部分に、光が射したような気がした。

 

 

 

「よかったね。査問に耐えた甲斐があったってものだね」

 

小牧の声は揶揄いのそれでは無かった。本当に自分のことのように喜んでくれているのが分かる。苦しかった査問の時期を共に歩んでくれたバディだからこその喜びだ。

 

「あいつの記憶は、高校3年の秋で止まってる。俺と出逢って、まだ数週間しか経っていないようだ。それなのに……」

「すでに『王子様』呼びだったのが、そんなにショックだった?」

 

直後に「ぐはっ」と笑い崩れる音がした。

 

「…小牧ぃぃ!」

「くっくっくっく…もうダメ。笠原さん、どんだけだ!って感じ」

「まったく…あいつの思考はそれなりに理解できるようになったつもりだったが、ここまで単細胞だったとはな!」

「ん…でもさ…その彼女は、ホントに王子様を自力で見つけちゃったみたいだよ?ね、なんでお前が王子様だって分かったのさ」

 

堂上は眉間の皺を深くするばかりで答えない。

じっと自身の掌を見つめていた。

 

「ついでに。王子様かと訊かれて、お前は何て答えたの?」

「……柴崎から聞いてるんだろ」

 

また小牧は盛大に吹き出して床に転がった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

翌日の午後、あたしは病院から関東図書基地へ身を移した。

 

眠りから覚めたら、世界が進んでいた。

この状況を理解しろと言われて、頷ける人が居るなら聞きたい。不安は全く無いのか!と。

あたしは高校3年生のつもりでいる。だけど、病室に現れる人達は、皆一様に社会人一年目のあたしに声をかけている。しかも、あたしが働いてるのは図書隊だと言うのだ。

 

でも…そこは、自分を褒めたい。

同期で同室の柴崎さんって人が、こっそり教えてくれた。

あたしは――王子様を追いかけて図書隊員になったのだ、と。

それならば、あたしのこれからは、図書隊員になるために費やされるということだ。そしてちゃんと目標達成していくのだ。全ては、王子様に再会するために!!

 

 

あの日――背中から掬い上げてくれた、図書隊のあの人にお礼が言いたくて。あたしは再び本屋さんへ行ってみた。もしかしたら、隊員の名前くらい聞いてるかもしれない。どこの図書館に行けば会えるか、分かるかもしれない。

期待を胸に、あたしは無駄に元気よく訪ねてしまった。結果、後悔することになった。

何も教えてもらえなかったのだ。

何となく、どこの基地に所属している人なのか…くらいは知っていそうだったけど、その他はアウト。名前なんて絶対に教えてもらえないんだって怒られた。

 

それが、確か三日前のこと。

完全に手詰まりで、あたしはかなり凹んでいた。

 

なのに。

 

今は図書隊員になっている。

そして、王子様かもしれない人が、あたしの上司?だかなんだかになってる!

 

あたしってラッキーガール?

偶然にしては出来過ぎだよね。こんな状況、嬉し過ぎるよね♪

 

 

――だからちょっと浮かれていた。

現実はとても厳しい状況で、あたしは決断の時を迎えていたのに気づけなかった。

 

だって・・・ここはとっても居心地がいいんだもん。

 

 

 

 

 

「お!笠原~!お前、俺っちのこと忘れてるんだってなぁ。ニシシ…無理すんなよ」

「笠原、紅茶好きだろ?美味いの淹れてやるから、そこで待っとけ!」

「コンビニに新作スイーツ発売になってたぞ!お前、楽しみにしてただろ。買ってきてやるから、自分で買わずに待ってろよ!」

「おいこら!その役目はお前じゃないだろーが!笠原の記憶が戻ってないからって、図々しいにも程があるぞ!」

「そういう進藤さんだって、こっそり奥さんの連絡先を笠原のスマホから消去しようとか画策してるじゃないですかぁ!」

「ばっ!お前、それは言わない約束だったろー」

 

「あんたら、いい加減にしてくださいっ!!」

 

堂上の怒号が事務室内に響き渡る。何事かと玄田が隊長室から顔を覗かせたが、隊員たちの様子を一瞥すると頷きながら巣穴に帰っていった。

 

「ま、そう怒るなよー。笠原が不安がるだろうが。ほら――以前には有り得なかった、お前を見る目が仔犬みたいに懐いてるぞ」

「なっ!懐いてるとか、ロクに話も出来てないのに、そんなことあるわけないでしょーが!」

「うんうん、そう照れんな。なんか、本人が高校生だと思ってる所為か、表情が更に子供っぽくなっててな。可愛くって構いたくなるよなー」

「あー、それ、分かります!今の笠原は、他の奴等には見せたくないですね」

「山猿とか言ってた奴等も、きっと目の色変えますよ」

「な?堂上、どうするよ?」

「ど、どうって…どういう意味ですか」

「そりゃぁ……あの事、カミングアウトしていいんじゃねーか?」

「・・・・・」

 

堂上は苦虫を噛み潰したような表情で堪えた。これ以上進藤たちの揶揄いに付き合うとロクなことがないと警報が鳴る。

あの事――王子様の正体をカミングアウトするなんて話は、考えるまでも無く無視するに限るのだが、郁をタスク以外の隊員の面前に晒すのは如何なものかという事は、早々に問題視していた。

 

「副隊長、暫く堂上班のシフトを融通していただけませんか」

「ん……笠原は防衛部の任務は無理だろう。出来ても、ここでの簡単な事務仕事くらいか」

「かと言って、右も左も分からないヤツを一人で寮には置いておけません」

「本人も、出来れば出勤したいと申し出ている。タスクに居ることは苦痛ではないそうだ」

「…そうですか、それは良かった」

 

素直に嬉しさが込み上げてきた。不安ばかりであろう状況で、本来の居場所であるタスクに居ることを心地良く感じているというのは本能だろうか。

――野生の勘か?

浮かんだ思考に笑いも込み上げる。記憶を失くしていても郁は変わらずに郁であると、絶対的なパワーを感じる。

何となく、何があっても大丈夫な気がした。根拠は無いのだが。

 

 

 

 

それから数日、郁はタスクの事務室内での簡単な仕事をしながら過ごした。

短い時間だが、息抜きに…と、堂上とバディを組んで(いる態で)館内警備に出てみたりした。

本格的な警備ではない。有事の際は何もせずに事務室に戻るよう言われている。だから堂上にとっても気持ちを緩めて館内を歩ける、特別な時間となっていた。

 

「防衛部員として最前線に出なくていいと言われても、業務部のやつらから見たら俺たちは警備するタスクの人間だ。一応、きちんと目配りしていると見せかけるぞ」

 

郁はコクリと頷いた。小動物のような仕草に、思わず笑みが零れる。

堂上は「視線を向けるポイントを教えてやる」と、郁の頭に手を乗せて優しく弾ませた。

警備の際の注意点――これは、教育部隊の時から郁に教え込んだ内容だ。

堂上にしてみたら二度目となる教育に、正直気の遠くなる感覚はあった。特に郁は出来のいい新人ではなかったから、尚更。

だが、今回は新鮮な気持ちで指導している自覚もあった。

反抗的な態度の郁は存在しない。何でも吸収したいと願う気持ちが表れた瞳で、堂上を真剣に見つめ話を聞く。素直な少女の郁に教えることが楽しみになっていたのだ。

 

 

 

 

そろそろ記憶を失くして一週間。

症状の回復は見られず、言葉も発せられない状況でも、郁は持ち前の明るさを随所に見せてタスクの皆を安心させていた。

この日も、息苦しい事務室仕事から解放するために小一時間の館内警備へと出掛けた。勿論、堂上がバディだ。

 

途中、小さな子供が転んで泣いているのを見つけ、郁が駆け寄っていく場面があった。

声の出ない郁に、子供は不思議そうな表情で問いかける。

「おねえちゃん、お話できないの?」

郁が頷くと心底可哀想だという表情をされた。それに対して郁はにこやかに笑う。両手指で丸を作って、「ダイジョウブ」と口を動かす。

子供は更に不思議そうに、だけど少しだけ口角を上げつつ「うん」と頷いた。

 

膝を折って子供目線に降りていた郁の頭に手を乗せてやると、首を回して堂上を見上げてくる。視線があった瞬間ににっこりとする郁を見て、堂上の中で大きな波のようなものが押し寄せた。

 

 

――きょーかん?

 

 

頭の中で声が響く。

もう一度郁と視線を合わせると、郁は不思議そうな顔で小首を傾げた。

 

 

「…俺を呼んだか?」

郁は更にきょとんとした。

 

「…いや…なんでもない」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

それは、郁が退院して十日目の朝。

隊長室に呼ばれた堂上班の4人は、これから始まる修羅場を想像して萎えた。

 

ことの始まりは昨日。

防衛方の最前線に出ない堂上班を訝しんだ輩が、行政派のお偉方に調査した内容をリークしたため、郁の記憶喪失と失声症の病状が知れ渡ることとなってしまった。

ここぞとばかりにタスク陣営に攻め込んできた行政派の一人は、郁に長期休養を提言した。それだけ聞いたら話の分かる優しい上司に見えるかもしれない。が、実際のところはそうでないのが行政派だ。

 

「君の実家は茨城だね。そちらで休暇をすごしてみたらどうだい?それで病状が回復するようなら、そのまま水戸に転属するのも良いと思うよ」

「は?転属??」

「こういった心因性の病気は、ご家族の元でゆっくりするのが一番だと思うがねぇ」

「た、確かにそうかもしれません!ですが、笠原に至っては、その家族との折り合いが…」

「そう思っているのは玄田君たちだけじゃないのかね?実際、笠原君は特殊部隊での任務で心因性の病気になったわけだ。君達が彼女の心を追い詰めたということにはならないのかね?」

 

この一言にはぐうの音も出なかった。

しかしだからと言って、郁を手放すつもりは毛頭無い。玄田は唸り、唸り続けて出した答えは、「笠原のご両親に連絡する」という事だった。

 

そして―――連絡をした結果、笠原父・母の図書隊来訪という話が急遽決まってしまったのだ。

 

 

 

 

 

「郁っ!!」

「郁、大丈夫かい?」

 

郁の表情筋は強張り、目は泳いでいた。

タスクの事務室に案内された両親は、娘の姿を見つけると一目散に駆けてきた。両親にとっては高校卒業以来に近い対面だ。ついついスキンシップに走りたがる。

一方、郁はつい先日まで実家暮らしをしていた記憶が新しい。母親と大小の喧嘩が絶えない毎日であったため、一番最近の喧嘩の内容を思い出して怒り再燃となりそうだった。

 

「まさか銃を持って戦う職業を選んでいたなんて…」

「父さんもビックリしたなぁ」

「ね、いい機会だから、うちへ帰っていらっしゃい。仕事は暫くお休みさせてもらって、落ち着いたら今後の事を考えればいいわ」

「あ、あの、笠原さん。今後のこと…と言いますと?」

「娘には図書隊を辞めさせたいんです。普通の女の子の暮らしをしてもらいたい」

「いやぁ…お嬢さんは、充分に普通の女の子ですよ。図書隊に居ようが居まいが変わらないと思いますが」

「銃を持ってる女の子が普通だと仰るんですかっ!」

「母さん、まあまあ、落ち着いて」

 

両親と玄田の会話を黙って聞くしかない郁は、明らかに母親の発言の時に敵意剥き出しの眼をしていた。もし失声症でなかったら…想像しただけで身震いするほどの惨劇が浮かんで、申し訳ないが話せなくて良かったと胸を撫で下ろすのは堂上班の男衆。

郁は筆談の準備もしていたのだが、どうしても母親に気持ちを伝えるのを躊躇うのだろう。何度も手元のミニノートをぎゅっと握りしめていた。

 

「郁には女の子らしく、普通に結婚して、子供を産んで、幸せに暮らして欲しいんです。小さい頃からずっと、そういう将来を夢見て育ててきたんです。決して、銃を持って戦うような野蛮な子になって欲しかったわけではありません!」

 

母親の言葉に郁の肩が動いたのを堂上は見逃さなかった。

 

「お気持ちは分かりますが、お嬢さんも成人し独立した大人です。彼女の意思を尊重するという選択肢は与えてもらえないのでしょうか」

「間違った選択肢は親である私たちが排除します!娘には幸せになって欲しいんです。ただそれだけなんです」

「お嬢さんに選択の余地は無い、と?」

「少なくとも今は、記憶を失っている状態で、正しい判断ができるか疑問です」

「確かに、お嬢さんの記憶は高校生の時まで戻ってしまっているらしい。5年間の記憶が失われているようですな。その間、ご両親とどんな話をされてきましたか?」

 

玄田の質問に、母親は言葉を失った。

 

5年前…大学受験絡みで大喧嘩となり、郁は半ば家出のように大学進学のために上京した。それから4年間、陸上部推薦入学だったことを理由に、練習を休むわけにはいかないと学業の休みの期間も帰省は無い。

陸上選手として努力したのは本当だ。しかし、それと並行していたのが、司書資格の取得だ。図書隊入隊に際し、それが有利な条件となっていることを知り、必死に勉強したのだ。

そして誰にも相談せず、図書隊への就職を押し進めた。

 

どうしても受かりたい。図書隊に入りたい。

 

――あの人に逢いたい!!

 

 

 

 

「っ!…」

「おい、笠原?」

 

顔を上げた郁の目から涙が溢れていたのだが、堂上はそれよりも郁の表情の変化に気を取られていた。何かが変わった瞬間が、今、確かにあったのだ。

 

「笠原、どうした」

 

伺う堂上に視線を合わせると、郁の瞳は大きく見開かれた。

堂上は確信した。

 

「記憶、戻ったのか?」

 

郁は頷いた。一同は堂上の言葉に驚いて、二人のやり取りを固唾をのんで見守る。

筆談を始めた郁は、母親へ自身の気持ちも伝えることを決意したようだ。

 

【全部ではないです。大学の4年間のこと、今思い出しました。

 図書隊に入りたくて、司書の資格を取るために頑張ったんです。大学と陸上と資格と、全部頑張るのは大変で、途中何度も挫けそうになったけど。

 でも、私、図書隊に入れたんですよね?ちゃんと仕事してたんですよね?】

「ああ。厳しい訓練に耐えて、特殊部隊に配属されて。大きな事件を解決に導いたばかりだ」

【凄く嬉しいです!この間の面接、ちょっと失敗しちゃったかなーって思ってたから】

「・・・・・」

 

堂上が黙り込んだので、すかさず小牧がノートを覗き悶絶し始める。その様子に玄田、緒形も続いて覗き込み、同じタイミングで盛大に吹き出した。

 

【何で笑ってるんですか?】

「笠原、その面接、俺たちが担当だったんだが。覚えてないか?」

【ごめんなさい。顔覚えが悪くて】

「うん、知ってるー!ぶははははははは」

「小牧!お前はあっちで笑ってろっ!」

【みなさん、いらっしゃったんですか?】

「んー、そうだな。俺も緒形も、堂上も小牧も」

 

玄田の返答に郁の顔が赤くなった。理由が分かったのは堂上と小牧だ。

 

「と、とりあえず、お前の努力は無駄にはならなかった。ちゃんと図書隊に入って、希望通り防衛部に配属されたんだからな」

「そうそう、更に特殊部隊に推薦されて、始めは戸惑うことも多かったと思うけど。手塚と二人、タスクの末っ子って可愛がられて、楽しい毎日だったよ」

 

郁はまだ戻っていない図書隊入隊後の記憶の中に、自分が求めていたものが確実に存在したのだと思い至った。堂上と小牧の言葉だけで、それらを信じられたことに驚きながらも、今思いつく言葉の限りを尽くして、母親と対峙しようと決意する。

 

 

【お母さん、私の幸せは、私が決めます。

 お母さんの思ってるものが、私の幸せに繋がるかどうかなんて分からないでしょう?】

「郁!それはどういう意味?」

【大学4年の、今の私の気持ち。

 図書隊に入りたい。本を守りたい。それだけなの。

 だから、記憶は無いけど、図書隊員になれたのなら、私は最高に幸せ。

 ここから離れたくない】

「で、でも、郁!」

「母さん、もういい。郁の意思を尊重しようじゃないか」

「あなた!何言ってるの!ダメよ。郁は記憶が戻ってないわ。ちゃんと治療しないと」

「だから!母さんも見てただろ。郁はここで記憶が戻ったんだ。残りの記憶だって、戻る望みが出てきたじゃないか。郁がここがいいと言うなら、尚の事、ここに居させてもらえる方が幸せだ」

 

夫の説得に絶望の色を隠しきれない母親は、オイオイと泣き崩れた。

困ったように眉を下げたのは父親と郁。その眉がそっくりで、思わず堂上は遺伝子の不思議を考えずにはいられなかった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「笠原さん。面接の時に王子様の話を熱く語ってしまったことを思い出したんだね。しかも、王子様かもしれない堂上も居たと知って、真っ赤になってた」

 

缶ビールの入ったコンビニの袋を片手に、小牧はいつも通り部屋に入ってきて唐突に話し始め、可笑しそうに笑った。

 

「なあ、記憶を失くしてる時の事って、思い出した後でも記憶に残っているものなのか?」

「んー、どうなんだろう。人それぞれ、ケースによって違うのかもね」

「今日のは、明らかに覚えている感じだよな」

「そうなるね。なに?覚えててもらっちゃ困ることでもあるの?」

「・・・・」

「あれ?王子様の話は、答えずに濁したんだよね?」

「…まあな」

 

 

――正しくは、半分ウソだ。

郁に【王子様ですか?】と訊かれ、堂上は返事をしなかった。

言葉にしない代わりに、手を頭に乗せた。―――あの日のように。

 

柴崎はそれを見て、小牧にメールで「濁したんです!あの朴念仁!」と訴えてきた。

だが実際は、頭を撫でることで自分があの日の図書隊員だと告げているようなものだったのだ。

 

郁は多分、王子様の正体に気付いている。

その上でのあの赤面だ。

 

記憶喪失だから、この際知られてもいいかもしれない…と、頑なな気持ちを解きほぐすことにしたのは、郁のためではなく、堂上自身のためだったのかもしれない。

事実、郁に正体がバレたと気付いてから、心も身体も軽くなったような気がしていた。

 

 

「じゃあ、何を覚えていて欲しくないのさ?」

「いや、何でもない」

 

 

 

――逆なんだ、小牧。

 

俺はあいつに、あの日の図書隊員が俺だったということを覚えていて欲しいんだ。

あの日からずっと、お前を守っているつもりで歯を食いしばって来たから、それを認めて欲しいと願ってる。

 

他の誰でもない、笠原郁に。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

大学4年までの記憶が戻り、図書隊員の基本となる司書資格を取得して間もない郁は、業務部の簡単な仕事も教えれば出来るくらいになっている。

人の顔を覚えるのが苦手なことは、郁をよく知る隊員には知れ渡っているところなので特別なフォローは必要無い。館内で仕事をする上で必要なのは、隊員としての最低限のルールだ。それをしっかりと叩きこむための勉強会が開催された。

 

「図書館法は、隊員手帳にも載ってるから。全文覚える必要はないわ。実際、笠原は全く覚えていなかったから、安心して」

「いや、これを機に、少しは暗記してもいいんじゃないか?」

「手塚、笠原さんの記憶が戻った時、以前より優秀になってると、調子狂うと思うよ?」

「…確かに、そうですね。図書館法を覚えてる笠原なんて…想像できませんでした」

「ね?」

 

若干バカにされてる会話を聞きながら、郁は柴崎からのレクチャーを必死にメモしていた。

 

「あとは…私たち隊員の階級とか、かなぁ。階級章の見方を覚えましょ」

郁は頷き階級の表を見るが、途中、ハッと息を呑んだようだった。

「ん?どうしたの」

 

顔を上げて勢いよく首を振る。郁の耳が赤くなっている。

堂上はそっと郁の手元を覗き込み、ふっと笑った。

指で階級名を辿っていたのは、三正の階級章。

それは、あの書店で郁を助けた堂上が付けていた階級章だ。

 

【図書士、図書正、図書監……カッコイイなぁ】

メモの脇で筆談する。

「私達、大卒の一年目は、ココ。一等図書士からね。二年目以降、昇任試験で目指すのは、まず図書士長よ」

「俺たち、図書大卒は三正からスタート」

【さんせい?】

「略した呼び方。通称ね。苗字の後に通称を付けて呼ぶのが暗黙の了解なの」

【お二人のことは…にせい?】

 

郁は堂上と小牧の階級章から、現在の二人の階級を読み取った。それは見事に正解ではあったのだが、郁から「二正」という言葉が出たことに多少なりとも感動があり返答に困ってしまった。

戸惑う上官に助け船を出したのは柴崎だ。

 

「うふふ。あのね、あんたは規格外だから。お二人を二正って呼んだことないのよ」

【それでいいの?】

「うーん、良くはないのかもしれないけどぉ……二正って呼んでみる?」

【小牧二正、堂上二正?】

 

郁は自分に近い方から順に顔を向けて、上官の名前を文字にしてみた。自信なさ気に疑問形なのが妙に可愛い。

 

「お二人、如何ですかぁ?」

「今まで通りで構わん。笠原の記憶が戻った時、混乱するだろ」

「まぁ、そうだね。堂上がそれでいいなら、俺は文句ないよ」

「ですって♪」

【じゃあ、なんて呼んだらいいんですか?】

 

敬語の文章は上官へ宛てたものだ。筆談を数日間続けてきて、郁の中のルールが分かった。

だからこれは、堂上か小牧が答えるべき質問ではあったのだが、二人とも自分のことを「教官と呼べ」とは言い難いらしく、これまた返答に困っていたので柴崎が割って入る。

 

「病院で教えたでしょ。『堂上教官』って。あんたは入隊直後からずっと、お二人を教官呼びよ。どうしても呼んじゃうんだって言ってたわ」

【それでいいんですか?】

 

上目遣いで申し訳なさそうに伺う郁に、上官二人は笑いかけた。

安心したように再び階級の勉強を始める郁を見ていると、堂上の中に再び波が押し寄せる感覚がある。

もう何度目かのその感情に、ちょっとだけ麻痺してきた。

 

堂上は思わず手を伸ばし、郁の頭を撫でる。

 

「励め」

 

 

顔を向けた郁と視線を合わせてそう言い、部屋を出ようとした時―――

 

 

 

――きょーかん!

 

 

頭の中で響いた声に、堂上は振り向いた。

郁は柴崎と手塚に図書手帳を指差しながら質問している所だった。

一緒に退室しようとしていた小牧に「どうしたの?」と訊かれても、「何でも無い」としか答えられない状況に苛立ちを感じていた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

12月に入り、業務部ではクリスマスイベントの準備で大忙しの毎日だと言う。

柴崎の話を聞いてワクワクすると同時に、一年目の隊員とは思えない程の活躍をしている柴崎の姿を見て、自分の状況に焦りを感じ始める郁。

特殊部隊の事務室で、そんな燻った気持ちが思わず態度に出てしまった。

 

 

堂上がイベント警備の会議に出て行った午後。

郁は緒形から簡単な仕事を任されて、専用パソコンの席で数字を打ちまくっていたのだが、集中力が途切れた瞬間、ふと堂上の席が目に留まった。

 

記憶を失ってから、課業時間中の殆どを一緒に過ごしてきたのが堂上だ。なんだかんだと理由をつけて、郁を一人にすることを避けている堂上に、先輩隊員たちは「過保護だ!」と声を揃えて言っている。そのやり取りが可笑しくて、思い出し笑いしてしまうほど。

そんな楽しい毎日を過ごしてきたから、一人になった今が何だかとても寂しいような気がする。そして、本来の仕事を熟す堂上と、同期の柴崎の姿が重なる。

 

――あたしは、何をしてるんだ!?

 

 

悶々とした気持ちに飲み込まれそうになった時、脳裏に浮かんだのは堂上の言葉だった。

『焦らなくていい』――数日前に言われた言葉。

残り1年分の記憶がどうしても戻らない自分に怒りを感じるようになり、ついつい態度が荒くなっていた。そんな郁の気持ちを理解してくれたのが堂上だ。

言わなくても分かってくれる人がいるという事に、感謝の気持ちしか生まれない。

堂上の言葉は、今の郁を救う魔法の言葉となっていた。

 

 

――早く帰ってこないかなぁ

 

 

 

 

 

「実家で飼ってる犬を思い出した」

 

すぐ近くから届いた声に驚いて、郁は勢いよく体を起こして辺りを見回した。

手塚が傍に立っていて、呆れた顔で見下ろしている。

 

「もしくは、忠犬ハチ公?」

【なにそれ】

「知らないのか?有名な感動実話だぞ!!」

【ハチ公は知ってる!あたしが犬ってどういう意味だって聞いたの!】

「今のお前、ご主人様を待ってる仔犬にしか見えん」

 

手塚の発言に、郁は真っ赤になった。

照れ隠しに(なったかどうか分からないが)手塚の脛を蹴飛ばした。

 

「痛ってぇ…何しやがる!」

「…おい、こら!ヤメロ!!」

 

「何やってんだ」

 

「あ、堂上二正!お疲れ様です」

お辞儀をする手塚の横に郁も立って、遅れて頭を下げる。

 

「ん、お疲れ。何をじゃれてんだ?」

「笠原が俺の足を―――

 

手塚の言葉をぶった切って、郁は堂上の目の前にノートを広げた。

 

「ん?訓練?――訓練に参加したいだと!?」

【走るだけでもいいです。ダメですか?】

 

堂上はノートに並んだ「走る」という文字に、郁の気持ちが詰まっているような気がして嬉しくなった。すぐに玄田の元へ打診に行き、様子を見ながら進めていくという了承を得て戻ってきた堂上の微かに紅潮した表情を見て、郁の頬も赤みが差す。

 

防衛部員として走り出そうとする郁に、タスクの士気も上昇した。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

郁の希望を叶える形で訓練への参加は認められたのだが、半月以上現場を離れていたことを考慮して、基礎体力のチェックから始めることとなった。

隊の訓練後にグラウンドに残った堂上班4人で走り込む。

予想に反して、郁は軽やかに走っていた。

 

 

 

 

 

 

風を切って走ると、自分の呼吸しか聴こえなくなる。

あたしはこの瞬間が好き――

 

陸上は基本、個人競技だ。

レース中は誰の助けも無い。ただ自分の力を信じて進むのみ。

それは孤独な闘いだ。

 

でも、あたしはその瞬間を楽しんできた。

小さい頃からずっと。

だから続けられた。

 

今も、久しぶりの孤独を楽しいと感じてる。

走れる喜びは、変わらずにある。

 

 

ふと気が付くと、自分以外の足音が迫っていた。

そうだった。一人で走っていたわけじゃなかった。

そうして何週目かのとき、手塚が脇を抜けて行った。

 

――速い!

 

手塚の背中がどんどん遠くなる。

これが男子の実力。手塚とあたしの体力の差。

ちょっと悔しいけど、仕方ないな。

 

 

暫くして、小牧教官にも抜かれた。

いつも爽やかな笑顔だけど、訓練の時は厳しい表情を見せていた。

長年、厳しい訓練を受けているだけある。

底力が半端ない。

 

 

次は堂上教官だなぁ…

と思っていたのに、抜かれない。

思わず振り向いて確認すると、すぐ後ろにピッタリと着かれていた。

「前見て走れ」と低く言われて、慌ててフォームを戻す。

 

「気持ちだけで走るな。無駄な腕振りを抑えろ。腰の位置が悪い」

言われるまま矯正しながら走って行くと、足取りが軽くなってきたのが分かる。

更に気持ちよく走れるようになった。

 

「それでいい。あとは体力の限界まで付いてこい」

そう言って、教官はあたしを追い越して行った。

 

 

堂上教官の背中が遠くなる――

 

手塚の時とは明らかに違う感情が湧いてくる。

 

 

 

 

 

 

 

―――やだ!置いて行かないでっ!!!

 

 

 

 

 

 

――

―――

 

 

――笠原っっ!!!

 

 

あ、教官の手だ。

 

やっぱり助けに来てくれた!

 

もう大丈夫。

 

司令、タスクが来ましたよ!

 

カウント取りますから、伏せてくださいね!

 

 

 

3・・・

 

2・・・

 

1・・・

 

 

 

 

 

―― っ!!!

 

 

「笠原?」

 

きょーかん…

 

「気が付いたか?分かるか?」

 

あれ?…夢だった?

 

ん?…違う……あれは……!!!

 

 

「笠原、もしかして思い出したのか?」

小さく頷く。

「え?!笠原さん、記憶戻った?」

小牧教官、笑ってる。

「笠原!ホントに?!」

柴崎も来てくれたんだ。

「走って記憶戻るって、お前どんだけだよ!」

手塚、うっさい!!

 

「そうか、よかったな」

 

――きょーかん

 

「ん?どうした」

 

――きょーかん!

 

「大丈夫だ。声もそのうち戻る」

 

――堂上教官!!!

 

 

 

最後まで失っていた1年分の記憶と、記憶を戻すまでの最近の出来事が、今のあたしにどれだけの影響を与えて、自分がどれだけ恵まれているのかってことを教えてくれた。

 

あたしを厳しく育ててくれた人は、追いかけていた王子様だった。

厳しさを理不尽に感じていて、反発しかしてこなかったけど。

教官はずっと教えてくれてた。自分の身を守ることの出来る隊員になることを。

それが出来なくては、本を守れないということを。

 

そしていつも、あたしを助けに来てくれていた。

司令と拉致監禁された時も。一番に駆けつけてくれた。

 

 

教官、ごめんなさい。

反抗的な態度ばかりで。生意気で。

 

教官、ごめんなさい。

大切な時間を最後まで思い出せなくて・・・

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

クリスマスイベントを明日に控え、柴崎は風呂開設時間ギリギリの帰寮となった。

メインのクリスマスツリーの飾りつけに時間がかかってしまったらしい。

大木の設置は、夕方、タスクのメンバーが数名借り出されて完了していた。

 

数日前、郁の記憶が戻った。

タスクはお祭り騒ぎとなり、準備会議中の柴崎を連れ出すまでに発展して、業務部長にお灸をすえられた。そのくらい、喜ばしいことだったということで、柴崎もタスクの諸兄達には目を瞑っている。

 

「ところで……記憶が戻ったのに、落ち込んでる理由は何?」

柴崎が部屋に戻ってからずっと、郁はテーブルに顎を着けて難しい顔をしていた。

質問に答える気が無いのか、ペンを執る仕草さえ無い。

「ちょっと!鬱陶しいのよ。何があったの?…ほら!」

郁の顎の前に紙とペンを置いた。渋々と書き出すのを確認しながら、柴崎は肌のお手入れを始める。しばらくしてペンを乱暴に置く音がした。

「どれどれ………」

 

 

【堂上教官のさ、態度が変なのー!なんか、距離を置かれてるような気がする…

 それに、記憶が戻ったから司令誘拐事件の報告書を書くように言われたの。それはいいんだけど、書いてるうちに色々思い出して…そう言えば、小田原に連れて行ってもらえなかったこととか、司令を守りたくて頑張ったこととか。

教官何も言ってくれないの。謝ってもくれなかったし、褒めてもくれなかった!】

 

「…あの、朴念仁が!」

 

 

 

 

 

 

 

翌日のイベントは大盛況。

休日に充てたことが功を奏し、子供連れの来館者が次々にやってきた。

皆、ロビーの巨大なツリーに釘付けで、そのうっとりと幸せそうな顔を見るだけで、苦労した隊員たちは涙が出るほど嬉しかった。

 

郁たち堂上班は、イベント時間に合わせて館内警備を担当していた。

クリスマスというワクワク感にみんなが浮足立って、和やかな雰囲気で時間は過ぎる。

途中、郁と手塚が防衛部の指令室へ向かった時、堂上の元へ柴崎がやってきた。

 

「お疲れ様です。ちょっとよろしいですか?」

「ああ、お疲れ。どうした」

「笠原のことなんですが。ちょっと不貞腐れていまして」

「何かあったのか」

「何か…って。堂上教官、ちょっと配慮が足りないんじゃないですか?」

「…は? 俺?」

 

本当に予想外だったようで、堂上にしては珍しく目を丸くしていた。

 

「教官、あの子に小田原の件、謝りました?あの時の笠原は、タスクの一員として連れて行ってもらえなくて寂しい思いしてたんですよ?一言、謝罪があってもいいんじゃないですか?

それと、司令誘拐事件も!あの子なりに頑張って機転を利かせてたんです。お陰で居場所も分かったし、司令だって無事に救出できたじゃないですか!ちゃんと褒めてあげてください!!」

「ちょ、ちょっと待て!柴崎、それは笠原が言ったのか?俺から謝罪が無い、褒めてもらってない、と」

「はい、それで拗ねまくってます」

 

堂上が柴崎の目を射貫くように見て、そして視線を足元に落とした。

 

「……記憶が…」

「はい?」

「いや…なんでもない」

 

堂上は「仕事に戻る」と言い捨てて去って行った。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

防衛指令室から館内へ戻って来た郁と手塚は、それぞれ次の警備ポイントへ移動を始めた。

郁は堂上とバディを組んで、2階の閲覧室付近の担当となっていた。

階段を上がる手前で、本格的なサンタクロースの恰好をした人とすれ違う。一瞬目が合って、笑いかけられた。業務部の企画は凝ってるなぁと感心しながら、辺りに目を配ることを忘れることなく目的の場所へ向かった。

 

1階に比べて2階は静かだ。イベントのメイン会場はロビーに集中しているし、元々2階は専門書のブースだ。利用者は普段からあまり多い場所ではない。

しかし、今日はイベント中ということもあって、普段より僅かに人が多かった。その中には子供も混ざっていて、コアな利用者からの苦情が入らなければいいなぁっと思っていた矢先だった。

 

 

郁の視界には二人の男の子がいた。どうやら書架の間で鬼ごっこらしきことをしているようだ。大声を上げているわけではないが、笑いながら走ったり棚を叩いたりしていて、普段の図書館とは空気が違っていた。

子供たちに注意をしようと一歩踏み出した時、一人の男の子の姿が書架に消えた。

郁は歩みを速めてその場所へ向かったが、覗いた通路にはサンタクロースの背中があるだけだった。

 

――あれ?さっきの人かな?

 

思った瞬間、振り向いたサンタは、子供の口を手で塞いでいた。

 

――えっ!?

 

郁はそのままサンタに近付こうとしたのだが、相手の方が初動が速かった。

体当たりで郁を突き飛ばし逃げ出したのだ。追いかけようとしたが、その前に子供の無事を確認しなければならない。急いで横たわる子供に近付き、呼吸と脈の確認をする。

――大丈夫

郁はキリッと顔を上げて、今度はサンタの後を追い始める。

通路から広い空間に顔を出して見渡すと、西側のスペースへと走って行く赤い服が見えた。

 

館内を走るのは有事の際しか認められない――そう堂上に言われたことを思い出す。特に郁は足が速いので、周辺の利用者への影響も考えて、でも問題解決はスムーズに。

矛盾した難しい課題を押し付けられたと思っていたが、実際走り出したら、堂上の言葉によって動かされている気がしてきた。

 

――教官の教えは絶対だ。身体が覚えてる

 

訓練を再開して間もなくて、大きな抗争などが来たら大丈夫だろうかと不安が大きかったのが嘘のように、郁は目的へ向かって走っていた。

 

 

 

サンタは逃げているのではなかった。もう一人の子供を追いかけているようだ。

郁がそれに気が付いた時、男の子は追いかけてくるサンタの本当の目的を勘違いしていた。つまり、サンタが鬼ごっこしてくれている…と思っていたようだ。

楽しそうに笑いながら、きゃっきゃと燥いでいる様子が、離れていても伝わってきた。

 

先程気を失っていた男の子の首には、引っ掻き傷のような痕が残っていた。

郁がサンタの背中を見た時、あれは子供の首を絞めていたのではないか?――恐ろしい想像をしてそれを振り払うかのように首を振る。

 

本当なら応援要請したいところだ。いきなりこんな捕り物は、正直不安で仕方がない。だが、声が出ない郁には通信手段は使えない。標準装備のインカムは、すっかりアクセサリー感覚だ。

しかし―――郁は無い知恵を絞ろうと懸命に考えた。

そして、頭にあることが浮かんだとき、根拠は無いがきっと伝わる気がした。

思いついた手段の準備をし、郁は再び足を速めた。

 

 

サンタが男の子の背後に迫っている。横から様子を伺っている郁の存在には気付いていないらしい。タイミングを見計らって、郁はサンタへ向かってタックルを咬ました。

中くらいの高さの書棚に、勢いよく体の右半身を打ち付けるような形で決まったタックル。サンタの口から「くぅぅっ…」っと悶絶の声が漏れた。

郁は間を置かずにサンタの身体から離れ、子供の元へまっしぐら。郁が追いかけてきたことも遊びの延長だと思ったのか、男の子はニコニコとしていた。

その無邪気な笑顔は、今は癒しにもならない。逃げようとするのを必死に捕まえ、郁は男の子を自身で包んだ。

 

数回呼吸をした時、脇腹に衝撃が走る。

サンタが復活を遂げ、郁へ攻撃を仕掛けてきていた。

 

必死に子供を庇い、脇腹や背中に衝撃を受ける度に、郁の喉からは息を吐き出す乾いた音と、嗚咽のような言葉にならない音が漏れていた。

 

どのくらい痛みを我慢しただろうか。微かに郁の意識が薄らいでいく感覚があった。

固く瞑った目が緩く開きかけた時、大きな衝撃音で覚醒させられる。バタバタといくつもの足音が響いていた。

 

 

「笠原っ!!」

 

声のした方へ顔を上げると、堂上がサンタの胸倉を掴んで締め上げている所だった。

 

――きょーかん!

 

郁の膝元に蹲っている男の子は、防衛部員に優しく抱きかかえて連れて行かれ、サンタは後ろ手に手錠を掛けられ連行される。

その一部始終を床にへたり込んで見つめていた郁の元へ、指示を出し終えた堂上が抑えきれない勢いのまま滑り込んで来た。

 

「無事か」

 

郁が答える間もなく、抱きしめる。

そうすることで無事を確認しているようだ。

 

――きょーかん!

 

声に出してその名を呼びたい衝動が、後から後から押し寄せるのだが、口から洩れるのはひゅーっと言う呼吸音だけ。それがもどかしく、悲しく、郁はいつの間にか涙を流しながら抱きしめられていた。

 

 

「笠原、よくやった。インカムからちゃんと聴こえてたぞ」

 

郁はインカムのスイッチを入れた。自分の声は出なくても、息遣いや周辺の音は拾ってくれるだろうと思いつき、堂上ならそれだけで何かが起きていると判断し助けてくれるだろうと確信して。

 

郁の想像通り、堂上が助けに来てくれた。

堂上だから助けに来れたのだ、と思う。

 

 

――きょーかーん!

 

「ん、よくやった。お前は自慢の部下だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―よくやった 戦力にならないというのは撤回する

 

   自慢の部下だ――』

 

 

 

 

 

 

「――っ!・・・き・・・・・ん」

 

「笠原?」

堂上は郁の身体と距離を作って、慌てて顔を覗き込んだ。

郁は肩で息をしながら口を開く。

 

「きょ・・か・・・ん」

「笠原、声――」

「うっ、ひっく……きょーか…ん」

「ん、笠原、よかったな」

 

泣きじゃくる郁の頭には、自然と堂上の掌が乗る。

子供をあやす様に撫でてから、今度は両手でわしゃわしゃと髪を掻き混ぜた。

 

「きょーかん!やめてー!」

「あははははは」

 

珍しく堂上が声を上げて笑い、その勢いのまま再び郁を抱きしめた。

 

「声、聴かせろ」

「きょーかん」

「…ん」

「きょーかん!」

「…ん?」

 

「堂上教官!!」

 

郁の「ありがとうございます」という声を聴きながら、堂上は愛おしい者を力いっぱい抱きしめた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「笠原の声が戻ったって、ホントですかっ!」

 

柴崎が特殊部隊事務室へ駈け込んで来た時、郁は堂上と共にサンタ(犯人)の聴取と医務室直行を命じられた後だった。

柴崎の質問には、皆が笑顔になっていることで答えになっているのだろう。

 

「で?問題の『第一声』は?」

「けっ!賭けなんてするんじゃなかったよなー!」

「ですよねー。賭けにならなかったですもんねー」

「…ってことは…」

「はい、大方の予想通り、『教官』だとさ」

「ふふふ、やっぱりね」

 

柴崎の含みのある笑みに、物申したげにしていた手塚は口を閉ざす。

小牧は通常仕様の笑顔で、諸兄たちのお遊びを黙認していた。

 

「つまらん、誠につまらん!」

「でも進藤一正、今回はかなりの進展が見られたじゃないですか」

「…まあな」

「え?え?まさか、あの二人、付き合っちゃうとか…」

 

「…どうかな?」

 

進藤と柴崎たちが勝手に盛り上がりそうなところで、小牧の冷めた一言が投入される。

 

「おい、小牧ぃ。なんだよー。あれだけいい感じなんだから、いくとこまで行っていいんじゃねーか?」

「分かってませんね、進藤一正。今までだって、堂上が素直になればいくらでもチャンスはあったんですよ?それをモノに出来なかったヤツが、今更すんなりと纏まると思いますか?」

「んー……微妙か?」

「俺は、付き合わない方に賭けますね」

「お!小牧ぃ、そう来なくちゃなぁ…ウシシ」

 

こうして新たな賭けを始めるタスクメンバー(+柴崎)。

 

 

 

 

 

 

賭けの対象にされていることなど露知らず、郁と堂上は揃って聴取を終え医務室へ向かっていた。

 

「そういえば笠原…確認なんだが。お前、記憶は全部戻ってるのか?」

「はい。全部思い出しました」

「一部抜けてるとか、そういう心配は無いか」

「はい、大丈夫だと思います」

「そ、そうか…」

「どうしました?…教官」

 

郁の問いかけに堂上の肩がビクリと上がる。今までお目にかかったことのない反応に、郁は訝しんだ目で堂上を見つめた。

 

「何か隠してます?変ですよ、教官」

また焦ったように挙動不審になり俯く。

「……ホントに、どうしたんですか?…堂上きょーかん!」

 

瞬間、堂上が勢いよく顔を上げ、郁の目を射貫いてから吐き出すように言った。

 

「司令を救出した後の事、お前、思い出してないだろ!」

「・・・へ?」

「誘拐事件の時だ!俺たちが助けに行って、撤収の前に――

「思い出してますよ?っていうか、さっき思い出しました」

「・・・は?」

「さっき、教官に抱きしめられて、ホントに全部思い出したんです」

 

郁はあっけらかんとしていた。そんな郁に魂を抜かれたように、堂上はがっくりと項垂れて絞り出すように続けた。

 

「やっぱり、あの時のことが原因で、お前は記憶喪失になってたんだな」

「えっ!なんですか、それ」

「医者に言われただろ。過度のストレスが一因となってるって。俺があんなことしたから、それがお前にとってはストレスでしかなかったんじゃないかと、ずっと思ってた」

「や、やだ!そんなわけないじゃないですか!」

「下手な慰めはいい。現に、お前はあの時のことだけ、最後まで思い出せなかったじゃないか。それくらい、忘れたいことだったんじゃないか?」

 

いつもの威厳のある上官の堂上は何処へやら。肩を落として自信の欠片も見当たらない姿に、郁は堪らなく悲しくなった。

 

「うーっ…ごめんなさぁい…あたしが、思い出せなかったからぁ…きょーかんのこと傷つけてぇ…ううぅ――っ」

「お、おい、泣くな!」

「だぁってぇー。教官、信じてくれないんだもーん。あたしはぁ、すごく嬉しかったのにぃぃぃ!嬉しくて…教官に抱きしめてもらったの忘れたくなくてぇ…夢の中で、このままあたしの奥の奥に仕舞いこみたいって思ってたのにぃぃ」

「・・・夢?」

「ん…救急車の中で寝てしまったときに見た夢、デス」

 

堂上が固まって、それから少しして吹き出しながら「夢まで思い出せたのか」と嬉しそうに笑った。

 

「分かった、信じる」そう言って堂上は、医務室手前の踊り場で郁をあの日のように熱く抱きしめた。

 

「嫌だから思い出せなかったんじゃないんです。抱きしめてもらいたかったから、記憶が戻る鍵になってたんだと思います」

 

肩で呟かれた言葉は、堂上の気持ちを逸らせる。

 

「声が出ない間、あたしずっと、心の中で『教官』って呼んでました」

「ん…聴こえてた」

「うそぉ」

「本当に。何度も頭の中に響いてきて、その度に……いや、いつもずっと、お前の声が聴きたいと思ってた。お前に――

 『堂上教官』って呼ばれるのを待ってた」

 

堂上の背中に回した郁の腕に力が込められた。

それに応えるように、堂上の腕にも力が入る。

 

負けず嫌いな二人の抱きしめ合いは、どちらかが降参するまで続くのだろうと、二人同時に思い至り笑いだす。

身体を離した時には、どちらからともなく手が繋がれた。

共に医務室へ向かう一歩を踏み出す。

 

 

肩を並べて歩きながら、郁は何度も「教官」と呼んだ。

 

 

「教官」

 

「ん?」

 

「きょーかん?」

 

「ん…」

 

「きょーかーん!」

 

「なんだ」

 

 

 

笑って答える堂上の横顔に心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――教官、好きです

 

 

 

 

 

 

「ん。俺もだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin

 

 

 

関連記事
スポンサーサイト

あなたを知りたい

3 嫉妬の嵐

comment iconコメント ( 0 )

コメントの投稿