パラレルの3話目。
陸上部のゴタゴタが始まります。
と同時に、篤くんと郁ちゃんの小学生の時の思い出を。

今後のキーとなる篤くんの言葉も。






3 嫉妬の嵐

 

 

――

―――

 

小学校に入学した郁は、本来の明るい性格と男前な言動で、クラスの中でも人気者と位置付けられたようだ。毎日を楽しく過ごし、嫌いな勉強もそれなりに頑張っていると聞いた。

初めての夏休みには真っ黒になるまで肌を焼き、白い歯を見せながら走り回る姿がご近所でも有名になっていた。

 

「お隣の郁ちゃん、ホントに元気よねぇ」

「学校でもよく走ってるの見るよ」

静佳が笑いながら告げると、母は「あらまあ」と少し驚きながらも笑顔を見せた。

「いつも大きな声で挨拶してくれるの。ホント可愛いわぁ」

「静佳にもあんな頃があったはずだよなぁ」

「うわっ!兄貴、それは嫌味なのぉ?」

 

父も加わって声を上げて笑い合う。我が家の家族団欒のひと時に、郁の話題が上ることは稀ではなかった。そのくらい俺の生活の中に郁の存在は普通にあったし、本当の妹のように気にかけて過ごしてきていた。

 

小学校の生活の中で、一年生の郁と六年生の俺が接点を持つことは殆ど無い。チャンスがあるとすれば縦割り学級や掃除の担当班などがあるが、なかなか同じ班になることは叶わなかった。

唯一、毎日同じ時間を過ごせたのは、朝の登校班だけ。それもムードメーカーの翔が班長となり、彼の後ろに一年生。その後ろを上級生が続いて、副班長の俺は最後尾。郁と話をしながら…なんてことは出来なかった。

 

 

そんな小学校最後の年を過ごした中で一番印象に残ったのは、秋の運動会だ。

紅白に分かれる一大行事。神様は俺(と郁)に味方した。

同じ白組になったのだ。

 

「ちぇっ。郁と一緒の運動会なんて、これが最初で最後なのにな。同じ組になれないなんてな」

不貞腐れたのは郁の兄の翔だ。奴は紅組になった。多分、応援団長も任されるだろう。

「うん、翔兄と一緒になれなくて残念!でも、でも!篤くんと一緒になれたよー!!」

「頑張って、白組優勝しような!」

「うん!!」

 

翔よりも俺と同じ組になれたことを喜んでいるように見えた。それは俺の希望からくる錯覚だったかもしれないが。

 

その後、各色で応援団員や係、紅白対抗リレーや騎馬戦の選手などが次々に決まっていった。

俺は騎馬戦の大将と紅白リレーの選手に選ばれた。そのリレーの初練習の時、一年生の選手として郁が居たことに驚いたと同時に、嬉しくて俄然ヤル気が漲ったのを覚えている。

 

リレーの選手は、各学年から各色に男女2名ずつ、足の速い順に選ばれていた。そして、それぞれ補欠メンバーが一人ずつ選ばれた。

毎年、この選考の時にちょっとした揉め事になっていた記憶がある。

この年もそんな恒例事はあり、しかもその渦中に俺自身が放り込まれた。

 

 

選手決めのタイムを取る日。

俺は6学年白組男子で2番手のタイムだった。補欠となる3番手とは僅かな差で。

このことはクラス…いや、学年中で話題となった。小学1年からずっと、俺はこの選考レースでトップ以外になったことが無かったからだ。

実はこのレースの3日前、俺は翔との遊びの中で右足首を軽く捻挫していた。自分の不注意だったことは確かで、それを理由に1位になれなかったと言うことは憚れたし、俺のプライドが許さなかった。

2位のタイムだったということは、おのずとリレーのアンカーにはなれない、という事。5年間、1位を守り抜いてきて、やっとアンカーになれる学年で首位陥落とは…自分が情けなくて、悔しい思いをこれでもかと味わった。

ところが、バトン練習などで日々を重ねていくうちに、足の調子はみるみる回復の兆し。俺の走りは、誰が見ても「速くなった」と思わせるものになっていて、それが徐々に選手たちの空気を悪くしていった。

 

それは、子供ながらの素直な一言から始まった。

4年生の女の子が、男子の走り込みを見ながらポツリと呟いたのだ。

「アンカーの人より、その前の人の方が速いよね。交換しないのかな?」

小さな呟きは静かに広まり、とうとうアンカーの耳にまで届いてしまった。当然彼は怒りだし、選考レースは間違いなかったと主張した。

子供たちの揉め事をキャッチしすぐに間に入ってくれた体育科の教師が、下級生たちの言葉にも耳を傾け、全員が納得いく形にしようと提案してくれた。それにより6学年白組男子は、前代未聞の選考レースやり直しとなったのだ。

 

結果、選考されたメンバーは変わらなかった。

ただ一点、変わったのはアンカーが俺になったこと。タイムはぶっちぎりのトップだった。

 

 

 

―――

――

 

「あの紅白対抗リレーは、忘れられないなぁ。途中でさ、白組はバトンを落としちゃったんだよ。でもね、アンカーのあつ…堂上先輩が逆転して。それで白組が優勝できたんだぁ!」

 

キラキラと瞳を輝かせて過去を思い出す郁の表情に、柴崎は思わず笑みを零した。

すっかり花びらを落とした桜の木の下で、郁と柴崎と手塚の三人は親交を深めながら各々の身の上話などをしていた。

 

「ほんっと、笠原の昔話には堂上先輩しか登場しないわねぇ。どんだけ一緒にいたんだか」

「先輩、小学生の頃から、こんなお転婆娘を相手にしてたなんて…ホント、大人だよな」

 

手塚の言葉に柴崎が大きく頷く。郁は不満気に頬を膨らませた。

 

「堂上先輩には妹さんがいるのね。学校は?」

「あー、しーちゃん…静佳って名前なの。だから『しーちゃん』ね。しーちゃんは、お友達と離れたくないからって、仲良し3人組で同じ公立の高校に行ったの。今、一年生だよ」

「へえ、そうなの。ということは、ご両親の勧めでこの学校を受験したわけじゃなさそうね。先輩自身が決めたってことね」

「確かなビジョンがあるんじゃないか?」

「そうね。先輩らしいわね」

「…なんか二人とも、あ…堂上先輩のことしか聞いてこないけど?」

「ん?それはそうよ!堂上先輩は、私たちの憧れだもの」

「…あこがれ?」

「そう。初等部の私達にも公平に接してくださって。頼りがいのある先輩よ。今も、昔も」

「そっか。やっぱり、変わってないんだね」

 

入学式の日からのことを思い出すと、少しだけ篤との距離を感じて寂しくなっていた郁だが、柴崎の言葉で幼い頃に一緒にいた篤が蘇ったようだった。

 

 

郁の中学生活は、一応順調にスタートした…ように見えていた。

 

 

 

 

ゴールデンウイーク中、市内の陸上競技大会が開催された。

中学生から社会人まで、学年や年齢別に行われたレース。郁の短距離は、中1女子の中では断トツの1位だったが、中学女子の括りでもトップとなった。まだ1年生だということに大会委員たちが色めき立ち、郁は注目を浴びる存在になっていた。

 

これに気を良くした陸上部コーチの三上は、下旬に開催される中学陸上競技大会都大会地区予選のリレーチームに、郁を入れようと画策。あっという間に中等部陸上部内の雰囲気が悪くなった。

 

「リレーの選手は、上級生から選ぶって伝統です!」

「しかし、笠原のあのタイムを見たら・・・」

「まぐれかもしれないじゃないですか!中学生になったばかりで、他の一年生は委縮したのかも。じゃなかったら、あんなに引き離せるはずないし!」

「いやいや、一年生の中だけじゃないだろう。中学女子の中で一番だったんだぞ。その事実を無視するのか!」

 

3年の中心メンバーとコーチの意見は相反した。部員たちはハラハラし、口を挟む立場でないことも重なって黙って見ているだけになる。

居た堪れないのは郁だ。どうしたものかとオロオロするばかり。

 

「笠原さん。あなたはどう思う?」

「え…どう…って…」

「リレーに出るつもりがあるの?」

 

郁は目を丸くした。過去の経験上、自分が出たいからと言って出た大会は無い。いつも指導者が郁にあった距離をチョイスして出場登録をしてくれていたのだ。そして、その決定に背いたことも郁には無い。

 

「あ、あの…リレーに出たいとか、そんなことは考えてないです」

「…だ、そうですよ、コーチ」

「でも!コーチに出ろと言われれば、出来る限りの練習をして出ます」

「は?なにそれ。やっぱり、出たいんじゃない!」

「いえ、そういうことでは…」

 

郁の真意は先輩たちには伝わらず、益々険悪なムードになるばかり。

これでは郁がリレーの選手になったとしても、チームワークは整わないであろう。三上は状況を見極め、郁のリレーメンバー入りを諦めた。

 

とりあえずの問題は去ったが、実力勝負の世界で郁の存在は妬ましいものと位置付ける上級生が現れ、何となくシコリの残る結果となってしまった。

 

 

 

中等部の部員たちの不穏な空気は高等部の部員にも噂として伝えられ、部長の新井の耳に届くまでさほど時間はかからなかった。

高等部のメンバーは、郁の記録に大いに沸いていた。中学一年で残した記録としては、どこへ出しても恥ずかしくない立派なものだったし、今後の成長も期待できるものだったからだ。

だが個人競技で、しかも特待制度が厳しく存在しているこの学校で、自己の成績に敏感になるのは致し方ないのだが、それ以上にライバルの成績に異常なまでの反応をする輩がいるのだ。そしてそのことが、部員たちの和を乱す原因になることも少なくない。

 

「嬉しい悲鳴って、まさにこのことだな」

「どうした。新井が珍しく悩んでるぞ?」

「期待の星が潰されるかもしれない」

 

新井の言葉に咄嗟に反応したのは堂上だった。

彼の言う「期待の星」が、堂上の大切な妹分であることは誰も知らない。だから過剰な反応は出来ないのだが、「潰される」なんてことを耳にして平常心では居られず、ついつい何があったのか喰い付いて聞いてしまった。

 

「んー。三上コーチが、笠原をリレーで使いたいって言ったんだと。そしたら、中三の奴らが猛反対したとか。ま、ウチの伝統があるからな、仕方ないんだが。結局、コーチが折れて話は終わったんだけど、笠原の存在で自分の地位を脅かされてると思うヤツが出てきたみたいで。ちょっと空気が悪いんだってさぁ」

「それは、上級生からのイジメみたいなことに発展しそうなのか?陸上部では、そういうことがあるのか?」

「まぁ…大きな声では言えないが。多かれ少なかれ、そういうのはあると思う。俺が部長になってから、高等部の方では厳しく監視してるんで、今は無いと信じてるんだけどな」

 

本来、部長は2年の夏からの一年間を勤め上げるのが通例であるが、新井はそれを前倒しで1年の夏からずっと部長として君臨している。

そのくらい彼は、この学校に期待されて入学し、それに見合うだけの結果を残して先輩たちから一目置かれる存在だったのだ。彼自身が、上級生からの嫉妬やあらぬ中傷を受けてきた経験を持っている。

 

「なんだよ、堂上。やけに真剣に聞いてるね」

軽い口調で入ってきたのは小牧。ちょっと見透かしたような表情に、堂上は顔を顰める。

「別に、ちょっと気になっただけだ」

「へぇ!関係ない部活の、中等部のいざこざが気になったの?どうしたんだろうなぁ」

 

堂上は睨みを効かせて小牧を見た。これだけで意図することが伝わる仲であるから心地良い。だが今回はこの後の展開で、小牧から根掘り葉掘りと聴き出されることが予見出来たから嬉しくない。

そして何よりも、郁の陸上部での人間関係が心配で気が気でない。

 

「ま、俺も上下関係では苦労したからな。期待の新人が潰されるのを黙って見てられないし。早いとこ助け船出しに行ってくるよ」

 

新井の言葉は、今の堂上には有り難いものであった。が―――

出来ることなら自分が郁の助けになってやりたかったと、大きな後悔の波に飲み込まれ始めていた。

 

 

 

 

「心配した通りになったわね」

 

昼休みは屋上でランチタイムとしていた三人に重たい空気が流れ始めたのは、郁の食欲が落ちていると気が付いたからだ。

そして、最近の陸上部内でのことを知ることとなった柴崎は、予想していたという顔と共にサラリと先程の言葉を吐いた。

 

「特待生であることも、大会で良い成績を残したことも、コーチがあからさまに期待していることも、全てが気に入らないのね」

「リレーに出なければ、なんてことなくなると思ってたの。でもぉ…」

「どんどん肩身が狭くなってくるんでしょ?」

「うん・・・」

「全く、どうしようもないな!」

「うっ…ご、ごめぇん」

「お前じゃない!先輩たちだ!!」

 

郁は手塚が真剣に腹を立ててくれていることが嬉しくて、ついつい笑顔になってしまったが、「笑ってる場合じゃないだろ!」とこれまた叱られて、シュンっと背中を丸めた。

 

「同級生とはどうなの?」

「みんな、優しいよ。でも、先輩の前だと…」

「そうよねぇ。なかなか助ける側には立てないわねぇ」

「…次、高等部との合同練習は?」

「えーっと…今週の金曜日と土曜日。日曜日が予選だから」

「そうか…」

「なあに?手塚。考えてることあるなら教えなさいよ」

「いや、高等部と一緒なら、部長から何かアクションがあるんじゃないかと思ってな」

「あー、そうね。きっと中等部の話は耳に入ってるでしょうし」

「え!そ、そうなの?」

「噂だもの、早いわよぉ。もしかしたら、部長から堂上先輩にも話が伝わってるかもね~」

「っ!!や、やだぁ!」

 

慌てた様子で顔を覆った郁は、くぐもった声で「知られたくない」と呟いた。

そんな郁を見て、柴崎と手塚は顔を見合わせ頷き合う。二人で郁の肩に腕を回し、慰める体勢と取ると「大丈夫」と繰り返した。

 

「こんなことで笠原の気持ちが落ち着くとは思えないけど。でも、忘れないで。私たちはアンタの味方よ。陸上部で辛いことがあったら、いつでも私たちに頼ってね。必ず、助けに行くから!」

 

 

 

 

中・高等部合同練習は波乱の幕開けだった。

手塚の予想通り、新井が中等部の部員たちを集めて、「コーチの方針に従うように」という内容の話を始めたのだ。

これには中3の女子メンバーが良い顔をしない。明らかに郁を依怙贔屓していると言わんばかりの態度で、更に部長のお小言タイムが延長された。

 

いい空気にならないことは分かってはいたが、新井は陸上部部長として黙っているわけにはいかない。代わりに陰で郁をフォローしようと思っていた。

 

「笠原、何か困ったことがあったらいつでも俺に――

「大丈夫です!頼もしい友達が二人も出来たので。何かあったら相談するって約束してるので、二人に遠慮なく甘えることにしました!」

 

状況に凹んでいるのではないかと心配していた新井は、殊のほか明るく返事をする郁に肩透かしを喰らい、正直ガッカリした。

入学直後に言ったこと――「彼氏に立候補」というのは、まんざら冗談ではなかったのだが。5歳も年下の、中学生になったばかりの郁にそれを真剣に伝えるのは憚れて、今は未だ部長という立場を最大限に利用していくことしか方法がない。

そんな部長の言動も、他の部員の妬みのタネにしかならないのだが…特待生で中途入学の新井も郁もその黒い感情には疎かった。

 

** **

 

日曜日、堂上は小牧と共に競技場に来ていた。

郁が出場する都大会の地区予選会。その応援という名目で、先日新井から聞いた陸上部の怪しい空気を少しでも確認しようという目論見だ。

 

「どうして隠すことにしたかねぇ」

「あの時は…咄嗟の事で、理由なんか無いんだ」

「堂上にしては、残念な選択をしたものだね」

 

小牧の容赦ない口撃に冷や汗をかきながら、堂上はトラックに視線を泳がせる。

 

「新井は、なんて?」

「全体に向けて、コーチの方針に従えという話をしたらしい。だが、予想通り中3の奴等がそれに反感を持った様子だと言ってた。新井は…直接郁にフォローを入れると言ってたな」

「ふ~ん。堂上はそれが気に入らないんだね」

「気に入らないとか、そういう事では無いんだが…」

「そ?彼女のピンチに、真っ先に飛んでいきたかったのに叶わなかったから、自分を責めてるでしょ?」

「くっ…」

 

少ない情報で痛いところを突いてくるのは相変わらずだ。中学の三年間を共に過ごしただけでなく、形の無かった未来を想像し語り合った仲だ。お互いに弱点は知り尽くしている。

 

「ひとつ、いい情報を教えてあげようか?」

「……思わせぶりはヤメロ」

「ふふ…中等部生徒会執行部員からの情報でーす」

小牧はファンファーレでも鳴っているかのように明るく、ふざけた口調で続けた。

「笠原さんは強い子だね。先輩たちの勢いに押されることは無かったようだよ。彼女は小学校の陸上部で、とてもいい指導者に巡り合っていたみたいだ。コーチの言葉を信じてついていくってことが根本にあるから、チームメイトの妬みなんかには屈しないだろうって。それと、どうも新井は本気みたいでさ」

「…本気?」

「笠原さんのこと、本気でモノにしたいみたいだよ。今回、彼女が凹んでるところを狙ったかもしれないんだけど…見事にスルーされたみたいだね」

「おい!アイツ、そんな汚いマネしてるのか!」

「うーん…堂上の立場だと怒りもご尤もだけどさ。好きな子に振り向いてもらうためには手段なんて選んでいられないって気持ち、お前だって男なんだから分かるだろ?」

「……弱みにつけ込むようなことはしない」

「だよね。でも、それは堂上のプライドの問題で、つけ込んじゃうのが普通なんだよ。ところが、笠原さんは男の気持ちの上を行く、真っすぐな信念の持ち主だったってわけ。部長の助けより、友達に甘えるって言ったらしいよ」

 

小牧は「抱きしめたくなるくらい可愛い子だねー」と締めくくった。堂上がこの上なく苦い顔で睨み付けることを予想しながら。

 

 

** **

 

 

地区大会はかなりの盛り上がりを見せて終了した。

中等部では100mで郁と2年女子、3年男子が。800mで1年男子と3年男子など。高等部も短距離、中長距離で数名ずつ。他にも走り高跳びや砲丸投げなど、都大会への代表入りを果たしたのだが、残念なことに、リレーは中等部女子だけ都大会への出場が出来なかった。

このことが後々まで尾を引いて行くことになろうとは、誰も予想してはいなかったのだが…

 

 

 

新井が興奮しながら締めの挨拶をしているのを横目に、堂上と小牧はそっと会場を後にした。

 

「すごいな。新井の代で都大会出場記録更新し続けて。アイツ、ホントに凄いよね」

「ああ・・・」

「笠原さんも、良かったね」

「あいつが本気で走ってるところ、久しぶりに見たな」

「そうなんだ!これから何度でも見ることが出来そうだし。うちの学校の陸上部もしばらくは安泰かなぁ」

 

意外なほど明るい小牧の声に、さっきまでのドキドキとした心臓の鼓動を思い出した堂上は、もう一度振り返って部員の中で笑顔を見せる郁をそっと見つめた。

 

 

「笠原さんさ、普段はあんなに幼い感じだけど、走る時は別人だね」

「…スイッチ入ったみたいだったな」

「うん。あんなに真っすぐに前を見て走る姿……堂上じゃなくても守ってあげたくなるかもね。新井の気持ち、ちょっと分かる気がするよ」

「お前なぁ――」

「ごめん、ごめん。でもさ、ホント。彼女が恋をしたらどうなるのかなぁって思わない?相手に向かって真っすぐに走って行きそうだなぁって……余計なこと考えてましたぁ!ごめんなさぁい!」

 

逃げ出そうとする小牧の背中に一撃を加え、堂上は笑顔の郁と記憶の中の郁を重ねた――

 

 

――

―――

 

郁の走りは美しかった。

小学1年生とは思えないくらいに。

 

多分、今の郁が見たら「フォームがなってない!」と恥ずかしがるだろう。

でもあの時の俺には、懸命に前だけ見つめて走る郁が眩しかった。

本当に眩しくて、鮮明に記憶している。

 

郁は断トツのトップでバトンを渡した。

その後、3年生から4年生へのバトンリレーで失敗。かなりのタイムロスがあった。

紅組を懸命に追う5年生から6年生に繋がったバトンは、アンカーの俺に届く頃には皆の想いも重なっていてとても重い物へと変化していた。

でもそれは重荷になるものではない。しっかりと握ったバトンは、明らかに俺の背中を押してくれたんだ―――

 

ゴールの手前で逆転して、俺は白いテープを胸で押し切った。

一番に耳に届いたのは、郁の「やったー!」と言う叫び声だった。

 

 

 

 

「この子と堂上くんのお陰で勝ったようなもんだね」

 

6年女子の一人がそう言うと、バトンを落とした4年生が苦い顔をした。

俺は「やめろ」と言ったような気がする。その声と被ったのが郁の声だった。

 

 

「ちがうよー。みーんなで頑張ったんだよ。みーんなで勝ったんだよー!」

 

 

郁は「ねー?」っと隣に居た同級生に問いかけ、一緒に嬉しそうに頷いた。

その何とも言えないほのぼのとした空気に毒気を抜かれた6年女子は、頬を掻きながら「そうだね」と呟き、3・4年生たちの背中を叩きながら「やったね!」と労いの言葉をかけて歩いた。

 

 

練習中のゴタゴタの時、結果に納得いかなかった俺の同級生に郁は言った。

『一生懸命走ってたの、わかったよ。だから2番目でもスゴいなって思うよ!』

小さな女の子からの一言にプライドを傷つけられたのか、ヤツは「うるさい!」と言い放って逃げ出してしまった。俺は途方に暮れながら、郁の頭に手を乗せて「郁はいい子だな」と心からの言葉を贈った。

だがその後のヤツは、目が覚めたかのように文句を言わなくなった。そして、練習から手を抜かずに一生懸命にやっていた。

郁のお陰で、チームとして纏まったのだ。

 

 

 

 

俺は郁の前に立つ。

リレーで勝てたこととか、白組が優勝できたこととか、そんなことよりも嬉しいと思えることが目の前にある。

 

 

「郁は、ホントにいい子だな」

 

言って頭を撫でた。「えへへ」と笑う郁は、凄く嬉しそうだった。その表情に安堵する。

 

「俺はお前が一生懸命に届けてくれたバトンは、絶対に離さないって決めてたんだ。

 郁。何かを届けたいと思ったら、真っすぐ前だけを見て走るんだぞ」

 

「・・・うんっ!」

 

 

頭の上で掌を弾ませると、郁はまた笑顔を満開にした。

 

 

 

 

 

俺の手を受け入れてくれる郁の表情は、今でも忘れられない。

 

 

この先も、絶対に忘れることはないだろう―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【つづく】

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