この作品は、某所のフォロワーさん1,600人記念SSでした。

少しずつ書いていて、2カ月くらいかかった大作。
すんごく長いです。。。






その時、彼女は笑った

 

そして、彼は微笑んだ

 

だから、彼らは喜んだ

 

 

はじまりは―――

 

間違いだらけだったけれど

 

 

 

 

彼女と彼と彼らの生きる道

 

 

 

 

『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ』

 

・・・とはよく言ったもので。この言葉の由来だとか意味だとかはネットで調べれば容易く分かるだろうけれど、俺独自の解釈でいえば

「恋する想いをおもちゃにしようものなら、いつか巡り巡って自分たちが酷い目に遭うよ」

 ってな感じで。今回もそんなことを思ったものだから、そっと冷ややかにこの言葉を主催者に贈っておいた。

 はぁ・・・どうして堂上のこととなると、みんな我を忘れてしまうのだろう。普段はちゃんとした大人(のはず)なのに。

確かにヤツの反応は面白いかもしれない。極端な照れ屋が自身の恋愛事に関して他人事のように振る舞うものだから、ついつい素の堂上を知りたくて弄り倒したくなる。うん、その衝動は分かる。分かるが―――今まではターゲットである堂上は誰のものでもない、フリーだった。だが今は違う。笠原さんという、ずっと想い続けてきた子が彼女になったのだ。これはもう、弄ってはいけない対象に分類されなければいけないはずだ。

 

 俺たちの属する図書特殊部隊の隊員は、日夜訓練を怠らず、自己の鍛錬に余念がない。それは自身と本と、本に携わるすべての人の命を守るための日々。この基地内で、一番命の尊さを理解し、その重みを感じながら生きているのだ。

 だからこそ、仲間の幸せに敏感になる。危険と隣り合わせな生活の中で、万が一の時を覚悟しながら生きてゆくことの辛さを知っているから、背中合わせの幸せを皆で分かち合いたいのだ。

 

 分かっている―――堂上の彼女となった笠原さんも同じ特殊部隊員だから、彼女の幸せのために諸兄たちは動いているのだと―――信じてはいるのだが。

「大丈夫ですか、進藤一正」っとどうしても一言釘を刺しておきたくなるのは、この主催者のキャラクターを把握しているからに他ならない。不安でたまらない俺の中で、ずっと警鐘が鳴り響いているのだ。

「小牧、そんなに心配するなって!これはな、堂上と笠原のための試練だ。これをクリアすれば、ヤツらはきっと固い絆で結ばれるだろうよ。結婚も夢じゃない!いや、早まるかもしれんぞ!」

 

 進藤一正の高笑いには嫌な予感しかしない。本当に大丈夫だろうか・・・。

 俺の心配を他所に、彼らの計画は着々と進み堂上たちを包囲した。

タスクフォース史上最大の作戦と揶揄されたこの計画が、近年稀にみる悪い結果を招くことになろうとは――夢にも思っていなかったんだ。

 

 

堂上、ごめんね。

笠原さん、本当にごめんね。

俺がもっとちゃんと彼らを止めていれば、君たちを悲しませることは無かったよね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

その時、彼女は笑った。

 

そして、彼は微笑んだ。

 

だから、彼らは喜んだ。

 

だけど―――

 

 

 

 

 

彼女は、本当は泣いていたんだ。

 

悲しくて笑った彼女を

 

誰も責めたり出来ないよー――

 

 

 

◆◆

 

 

 当麻蔵人亡命作戦の時に被弾した堂上が、長い入院生活を終えて隊に復帰したのはその年の秋のことだった。この明るいニュースは、特殊部隊だけでなく関東図書基地全体に広まり、改めて当麻亡命の祝いだか何だかと理由を見つけては、祝宴の席を設けようと暗躍する一派まで現れるほどだった。

喜ばしいニュースはそれだけではない。特殊部隊の王子と姫が、王子様の入院中に漸く正式なカップルと相成ったことは、二人のイチャコラを目撃した某隊員からのリークで、その日のうちに特殊部隊内に広められた。姫の入隊の(面接の)時から生温く見守ってきたタスクフォースのメンバーからしてみれば、長きに渡るジレジレがやっと昇華されるのだ。これはもう祝宴どころの騒ぎではない。

 だが、今にも羽目を外しそうな諸兄たちを一喝したのが小牧だ。

 

「笠原さんを晒し者にするんですか?」

 

 その場の空気を2℃ほど下げる小牧スマイルは破壊力抜群で、これはもう祝いだ!などと燥ぐわけにはいかなくなった。タスクフォースの男たちは、如何なる時も姫を守る騎士でいなければならないのだ!!

 

 こうして、堂上と郁が正式にカップル成立となったことを無暗に口外することが禁止された。二人の甘々な空間がとりあえずタスク部屋でだけお披露目されている状況に、進藤あたりは「糖害被害拡大だ!」と、いたくお冠だったようだが致し方ない。

 

 そんな状態が続いたある日のこと―――進藤たちの耳に入ったある情報が元となり、堂上と郁の心に波風を立てたのだった。

 

 

「なあ、笠原よ。お前、今のままでいいのか?」

「ん?何がです?」

「堂上とのことだよ」

 特別揶揄っているような口調でもないのに、郁は途端に真っ赤になる。

「きょ、きょーかんとのことって・・・今のままでいいのかって、どういう意味ですかっ!」

「お前は、自分が堂上の彼女だって宣言したくはないのか?」

「えっ、えっ、えーーーーっ!!」真っ赤な両頬を包んで、さながらムンクの叫びだ。

「笠原、よく聞け。普通はな、彼女になったら言いふらしたいもんだぞ?お前にとって堂上は、自慢の彼氏だろ?追いかけてきた王子様だったんだから」

「うっ!そ、その王子様の話は・・・もうイイデス。教官が王子様だったから好きになったと思われたくないんです」

「それは・・・他所の奴らはそう思ってるかもしれんな」

「あ、他所の人にどう思われてもいいんです。きょ、教官に・・・そう思われるのが嫌なんです!」

 進藤は眩暈を覚えた。なんて可愛いこと言いやがる、こんちくしょー!だ。堂上を羨ましくも感じて、そんな幸せな堂上を思うと自分のことのように嬉しくなる。

 

「そうか、それは笠原の気持ちだからな、大事にしろよ。でも、彼女だと宣言するのは別の話だろ。何となくバレないように気を遣っているように見えるんだが」

「・・・そんなこと考えてもみませんでした。ただ・・・あたしが、か、彼女とか、教官にご迷惑かけることにならないかなぁって心配ではあります、ケド」

 郁の本心が垣間見えて、進藤は俄然「なんとかしてやりたい!」という使命感に燃え始めてしまった。それがお節介だと、気付かぬフリも忘れない。

「実はな・・・堂上に極秘ミッションが下ることが分かった」

「極秘?」

「ああ。タスク内にしか明かされないミッションだ。で、これは今の状況でないと命令も出来ないし、受けることも出来ない」

 進藤の話を咀嚼しようと懸命な郁だが、やっぱり「よく分かりません」と答えられて「そうだよな」と納得する。詳しい話をしてやることにした。

 

 

 堂上に下るミッションとは―――

 現関東図書隊において行政派のナンバー2と言われている賀川一監の娘に絡んだ案件だ。彼女は賀川にとっては溺愛する一人娘。現在、大学を卒業した後、家事手伝いなる職業を続けて4年。つまり郁と同じ歳だ。社会人として働いた経験も無い箱入り娘である。

 この娘には大学在学中から付き合っていた彼氏がいたらしいのだが、就職後の彼の変貌に嫌気がさして別れることとなった。実は彼女、その彼との結婚を視野に入れての「家事手伝い」であったのに、彼は結婚の「け」の字も考えてくれていない様子で、このままだと適齢期を逃し売れ残ってしまうという危機感から別れを決意したらしい。

 さて、この別れ話だが。箱入りのお嬢様は「別れましょう」と申し出れば済むことだと簡単に考えていた。ところが彼は、その申し出をキッパリと断ってきたのだ。娘の予想を大きく裏切る形で、別れ話は拗れに拗れて――――

 

「・・・現在に至る、ということだ」

「はぁ・・・」郁には想像を遥かに超えるお話で、終始呆けてしまう。

「そこで、父親に泣きついたらしい。彼に諦めてもらうために、適当な人物を紹介してくれ!と」

「適当な・・・人物?」

「腕っぷしが強くて、頭脳明晰。真面目で将来有望物件のイケメン」

「・・・きょーかん?」

「な?思いつくのは、堂上しかいねーだろ」

 身長のことは条件に入ってないからな、っとさり気なくコンプレックスを弄ることも忘れない。

「紹介したら、どうなるんですか?」

「そりゃぁ、賀川一監の娘の、新しい彼氏として振る舞わなきゃならんだろうな」

「え・・・」郁の顔が、今度は青くなってきた。

「別れ話が上手く纏まれば任務終了。ってことなんだが、堂上に命令が下る理由、お前気が付いてないだろ」

 進藤に尋ねられ、郁は更に動揺を隠せない。ミッションの内容だけでもキャパオーバーなのに、理由なんて考える余地もない。

「タスクのヤツと柴崎以外、お前たちが付き合ってることを知らない、ってのが理由だ」

「へ?」

「そうだろ。お前たちが正式にカップル成立したと皆が知っていたら、偽装彼氏なんぞ頼めるか?新しい彼氏がどんな奴か探られてみろ。すぐにボロが出ちまう」

「・・・そっか」

「な?笠原。ここは付き合ってることを公表したほうがいいんじゃないか?」

 

 話し始めの進藤に対して、郁はまた遊ばれるんだと覚悟をしていた部分があった。だが蓋を開けてみれば、進藤は自分たちのことを心から心配して助言してくれているのが伝わってきた。ずっと、どんな時でも、言葉以上に温かく見守ってくれていたタスクの兄たちの優しさに触れ、郁の目には自然と涙が込み上げてきた。

 

 この時郁は、進藤に「教官と相談してみますね」と答えている。どこまで話をしたかは定かではないが、元来隠し事の下手な郁のことだ。進藤に聞いたままの話をしたのではないかと推測する。それに対して堂上は、素早い決断を下した。

 

「俺たちのことを隠しているつもりは無い。それでも知る機会が無かったと言うなら、課業中も遠慮しないが・・・いいか?」

 

 真っ赤になって頷く郁の頭を、盛大に撫でたことは言うまでもないだろう。

 タスクの王子様と姫の幸せな結末を誰もが知るところとなる!―――はずだった。

 

 

 極秘ミッションが、かなりのスピードで進行していたとは露知らず・・・

 

 

◆◆◆

 

 

 それはタイミングを図ったかのように、堂上が隊長室に呼ばれた。

 

例のミッションの話を郁が進藤から聞いたのは昨日のことだ。そして昨夜、寮の門限前に相談があると郁からのメールに、堂上は官舎裏での逢瀬を選んで話を聞いた。顔を見て話を聴けて結果的に良かった。彼女の心配事を解消してやることが出来たし、何よりも、退院して復帰してから仕事に追われ、まともな休息を取れていなかった堂上は、公休日もちょっとした仕事に充てられデートなど楽しみようが無かったために、二人きりの時間に飢えていた。我慢を余儀なくされていた分、郁の頬を覆う手にも熱がこもる。

「きょーかん?」

「ん?」

 誰にも見つからないように囁き合った呼びかけは、夜の空気に曝される前にお互いの口中に溶けた。

 

進藤が薦めるように、二人の関係を隠しておくことは無い。何の支障も無いし、正直堂上は郁のことを自慢したいと思っていた。

入隊から――いや、それ以前から。堂上は郁の真っすぐな性格に惚れていたと胸を張って言える。記憶に強く残った「清廉な背中を持つ女子高生」は、長い月日をかけて自分の背中を追いかけて来てくれた。運命の出逢いとか、王子様がなんちゃらとか、そんなものはとうの昔に綺麗サッパリ昇華されている。郁が背中ではなく、篤い瞳を向けてくれた時から、堂上の中で芽生えた透明な感情は、やがて色付いて存在を露わにした。

大切に隠し持っていた宝箱をぶっ壊して、逞しい足でもってトップスピードで駆け寄ってくる郁に素直に手を差しのべれば、勢いそのままで胸に飛び込んできてくれた。その喜びを、その感動を、自身の中だけに止めておくには、郁への愛情が大き過ぎた。

可愛くて、愛しくて、本当は自分の腕の中に閉じ込めておきたいくらいの衝動があるが、そんなことは出来るはずがない。郁が望んでくれたとしても、彼女を太陽のような存在と崇める人たちがそれを許してはくれないだろう。

自分だけのモノにしたいと強く願うが、郁は小さく囲われていい存在ではないのだ。

ならば、堂々と皆に知らしめてやろうじゃないか!

 

「三十路男の“とことん”、舐めんなよっ!」

「へ?」意味が理解できずにきょとんとしている郁の頬を、耳も一緒に覆うように大きな手で包み込めば、暗がりでもくっきりと浮かび上がるぷるりとした唇に吸い込まれる。

 堂上の静かな決意を郁へ流し込む。それがお互いの気持ちの確認だった。

 

 

 

 

「――なのに。話、早くないですか?」

 憮然とした顔で玄田に愚痴らしい言葉を吐き出す堂上は、この展開はとても嫌な流れだと肌で感じていた。

「すまん。笠原とのこと、一応賀川一監の耳には入れたんだが。何か調査をしたらしくてな。殆ど知られていないなら、問題はないだろうと仰るんだ。父親としては、フリーなヤツより決まった相手がいる方が何かと安心なんだろう。偽装が真実になることはないからな」

「確かに、俺が郁以外に靡くなんてことは100%有り得ません!でも、いくら偽装とはいえ、それが実しやかに他人に語られ噂になれば、郁が傷付きます。あいつを傷付けることだけは絶対にしたくありません!」

 堂上の強い物言いは、玄田を満足させるものだった。本当の娘のように可愛がってきた郁の、初めての恋の相手として堂上は既に誰の反対も無く合格者ではあったが、改めて堂上の本気度を確かめられた気がする。その点は、賀川に感謝したい気分だ。

「そのお前の気持ち、笠原本人に言ってやれれば、本当の意味で合格なんだがなぁ」

「・・・なんですか、合格って」

「ん?まあ、いい。緒形、笠原を呼んでくれ」

「っ!隊長っ!!」

 もう一人、確実に巻き込まれるであろう人物に話をするという事は、この先に待っているのは任務を拝命することと・・・そこから始まる寂しさと混乱の日々だ。

 苦い顔で佇む堂上の横に郁が音もなく並んで、それを横目で確認するタイミングでにっこりと笑いかけられる。

 

嗚呼、俺は――いつだってお前に救われている!

 

 

 

 

「笠原。堂上に極秘任務の指令が下る。お前も知らん顔できない案件だ」

「はい、噂は聞いています」

「・・・断ってやりたいのは山々だが、今回は―――

「教官がお受けになると言うのであれば、あたしはしっかりフォローしたいと思います」

「い・・く・・・」

澄んだ声に乗せた郁の返事は予想外で。堂上はこの世の終わりといった表情で凛とした彼女の横顔を見つめた。郁はそっと目を閉じて、ゆっくりと開くと堂上へ向き直った。

「きょーかん、大丈夫です。無期限ってわけじゃないですし、寮に帰ったら電話もメールも自由にできます。我慢するのは基地にいる時だけです。仕事中は今までだって我慢してたんでしょう?なら、それがちょっと先まで延びただけだと思ってください。ね?」

 

 

 郁は、優しく笑った。

 堂上は、それに釣られて微笑んだ。

 

 郁が堂上の手を取り、ぎゅっと繋いで玄田に向かう。

「堂上篤二等図書正、極秘任務を拝命します」

 二人で揃って敬礼して、顔を見合わせて笑いあった。

 

 玄田と緒形は、それを喜んで微笑ましく思いながら見つめた。

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 堂上の極秘任務拝命は、情報部の柴崎も関わる案件であった。いや、柴崎自らが郁のだめに何かしたいと思い至って、情報収集を買って出たのだ。勿論、賀川の知る所ではない情報部の仕事だ。集めたものは全て、稲嶺の後任基地司令である彦江に届けられる。その情報のうちの必要な部分を、タスクへリークするつもりでいる。

「柴崎。お前さん、それは服務規程違反にならんか」

「・・・なるかもしれませんね。だけど、笠原のためですから」

「柴崎。そこ、堂上のため、じゃないのか」

「ええ。笠原のため、です!」

 揺るがない柴崎の信念には、玄田も緒形も一目置いている。少しばかり郁贔屓が過ぎるのだが、だからこその愛情こもった仕事を成し遂げてくれるのも柴崎だ。

 

「こういった案件の場合、何かしら秘密があったりするんです。私はそれを探って、万が一堂上教官が追い詰められるようなことがあったら、切り札になるよう準備しておきます」

「ん、頼んだぞ」

 実は少し不安に思っていたのは玄田だった。堂上の気移りの心配などしていないが、相手あってのことだ。あちらさんがどんな手段で来るか、想像がつかないだけにいいイメージが出来ない。

「隊長。笠原のメンタル、私も気を付けて見守りますが、課業中はタスクの皆さんに託します。どうかよろしくお願いします」

「・・・了解した。全力で姫さん守るからな」

 

 

 

 数日前、柴崎は業務部内で気になる噂を聞いた。

 それはまさに、堂上と笠原についてであり、一体何事かと思ったのである。もしかしたら今回の極秘任務に絡んでいるかもしれない。となると、随分外野の動きが早い気がする。

 このくだらない任務を早く終了させるべく、情報部としての能力を惜しみなく発揮してやろうと意気込む柴崎は、気になった業務部内の噂から手をつけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 その日、特殊部隊は訓練日で、堂上は一人柔道場にいた。まだ運動機能が完全に元に戻ったわけではないので、図書隊のハードな訓練には参加できない。念入りな柔軟をしながら本日のトレーニングメニューを頭の中でスケジュール化していると、入り口に人影が動いたのが見えた。

 

「あのぉ・・・堂上さん、ですか」

 ふんわり、という言葉がこれほどハマるか!と思うくらい、全体がふんわりとした印象の女性がそこに佇む。「そうですが」と少し怪訝な声を意識して発した堂上は、畳から腰を上げてその人の方へ歩んでいった。

「わたし、賀川の娘のサクラです。賀川サクラ。咲く蘭って書きます」

 お花の蘭です、っとニッコリ笑ってみせる。

「・・・今日はどういったご用件ですか」

「え、あ!あのぉ、父から話、聞いてませんか?」

 堂上は溜め息を吐いた。とその時、柔道場建屋入り口の扉が開き、うっすらと汗をかいた状態の郁が足元から道場内へ視線をあげた。

「あ・・・えーっと・・・」

「笠原、どうした」

「あ、は、はい。進藤一正が、持久走をやるから堂上教官も一緒にどうだろうって。聞いて来いって言われて・・・それで・・・すみません、お邪魔しました?」

「いや、大丈夫だ。――こちらは、あの賀川一監の娘さんだ」

「あー・・・そうですか。初めまして、こんにちは」郁は深々とお辞儀をした。

「持久走な。走るだけなら大丈夫だろ。最近、かなり調子がいいからな」

「そうですね。前より、引きずる感じが無くなりましたね。リハビリの先生も良い感じだって仰ってましたよ」

 郁が嬉しそうに話すのを堂上は微笑んで見ていた。ふと視線を感じてチラッと黒目を動かすと、賀川の娘が上目遣いで堂上を見ていた。

「お仕事中にごめんなさい。どうしても今日中に会っておきたかったんです。明日、またお会いすることになると思います。どうぞよろしくお願いします」

 首を傾げて堂上に笑いかけ、向きを変えて建屋から出ようと2歩進んだところで郁の前で立ち止まり、クイッと顔をあげて郁を見上げる。

「笠原さん、ごきげんよう」

 どこぞの姫かと思わず膝まづきたくなる挨拶に、郁は一瞬上体を引いて「あ、さよなら」と庶民的な挨拶で返した。

 

 咲蘭が立ち去った後にはほんのり甘い香りが残っていて、郁は「いい香り~」と素直な感想を漏らしたのだが、堂上は眉間に皺を寄せ「匂いなんて余計だ」と吐き捨てるように言った。

 郁が「ふふっ」っと笑ったような気がした――

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 賀川の娘の予告通り、翌日の朝タスクの事務室に着いた途端、玄田の疲れたような声に呼ばれ昼休みに賀川の元へ出向くことになった。所謂顔合わせだそうだが、それだけなら昨日娘の独断で終了している。面倒な話にならなければいいが・・・と危険を知らせる何かが鳴ったのを無理矢理スルーする。

 

 賀川に指定された小さな会議室に向かうと、廊下に一人佇む人物。

「昨日はお邪魔しました」丁寧なお辞儀を添えられる。

「いえ、私は何も」仏頂面を隠すことを忘れていた。

「くすっ・・・そんなに警戒なさらないでください」

 それには返事をしなかった。警戒せずにはいられないような、嫌な空気しか堂上には感じられないのだ。

 入ってもよろしいですか、と尋ねて扉をノックする。中から返事が聴こえて、堂上は迷うことなく扉を大きく開けた。

「堂上です。失礼します」

「忙しいのに呼び出して悪かったね」本当にそう思っているのか?と問いたい気分だ。

「パパ、わたしもご一緒していいの?」「ああ、お前の話だからな」という親子の会話を静かに聞いた。――パパ、ね。 溜め息しか出ない。

 

 賀川の説明は玄田から聞いていたものと変わらない。詳しく知れることも無く、漠然と「新しい彼氏として振る舞ってくれ」と頼まれただけだった。

 隣で聞いていた娘の咲蘭が時折補足説明するが、なんだか的を得ない。堂上が一番苦手で嫌いなタイプであることは確実だった。

 うんざりしながら早く退室したい気持ちと戦っていた堂上に、爆弾が投げられた。

 

「今度のお休みはいつですか?デートしましょう」

「は?」

「デートです。お付き合いしてるんだから、当然でしょ?」

「え?そんなことまで付き合わなきゃいけないんですか?」

「相手に信じてもらうためです」

「・・・調査されてるんですか?」

「きっとそうするんじゃないかと心配しているんだ。万が一を考えて動いて欲しい」

 有無を言わさぬ高圧な態度。親子して・・・と堂上の頭には愚痴しか浮かばない。

 ちゃんとした了承をしたつもりはなかったが、次の公休日にデートすることは決定事項となっていた。そして、肝心な公休日が明日だという事に気付き、眉間の皺が寄ったところで郁との約束も思い出した。

「次の公休日は困ります。予定が入っていますので」

「それは、彼女さんとのお約束ですか?」

「はい」キッパリと、食い気味に答えた。

「ごめんなさい。それはお断りしていただいて。わたしとのデートを優先してください。この任務が終わるまでは、わたしが堂上さんの彼女ですから」

 

 少し強引な話の展開に、堂上は不信感を露わにした。皆、今回のことを「任務」というが、どう見ても賀川娘の個人的な問題を持ち込んだ、私的な依頼としか思えない。一体、どんな手段で周囲を納得させているのか…と変に疑いの目で見てしまうのだが、そこの所を突っ込んでみても納得のいく説明は出てこなかった。

 そして、咲蘭は帰り際に「明日のこと、あとでご連絡差し上げます」とトドメを刺して退室したのだった。

 

 

 

 

 

 

 図書隊の中での振る舞いは、咲蘭の目を気にすることはないと思っていた堂上を慌てさせたのは、柴崎からの報告だった。

 

「教官、今回の件、暫くは黙って従っていた方がいいかもしれません」

「・・・何があった」食堂内なので声のトーンは落とす。

「少しずつ分かってきたことがあります。まず、賀川一監の娘、咲蘭さんの元彼というのが作家です」

「作家?」

「はい。小説を書いているようですね。しかも、大学在学中に何かの賞を取ったらしくて。その後、細々と執筆活動を続けている…とかいないとか」

「なんだ?はっきりせんな」

「はい、そこなんです。咲蘭さんの言い分では、将来のビジョンに決定的な違いがあって別れることにしたって感じですよね?」

「ああ、そう聞いたが」

「確かに、元彼には将来を考える余裕は無かったのかもしれません。けど・・・これは女の勘ですが。咲蘭さんは特別に高望みをしているわけではないと思うんです」

 柴崎の言葉が、調査をして導き出したものなのか、単に自分の思い付きなのか。どちらだと思うか聞かれたら、前者だと答えるだろう。柴崎はそういう人間だから、こういった件では全幅の信頼をしている。

「で、その元彼は、どうも図書隊の中に知り合いがいるようで・・・」

「まさか、すでに偵察が入ってるのか?」

「はい、多分。実は少し前に、教官と笠原の話をしているのを聞いたんです。それが誰発信か、まだわからないんですが」

「そうか・・・となると、隊の中でも油断はできないということか」

「ですね。教官、大丈夫ですか?」意味深に問いかけられる。

「何が」

「特殊部隊の中以外、笠原とイチャイチャできませんね」

「いっ!イチャイチャって・・・」

「ふふ。本当はそろそろ解禁だったんじゃないんですかぁ?休んでいた間の仕事のカバーは完了したって聞きましたよ?心置きなく笠原を構ってあげられるようになるかってところだったんだろうなぁって。タイミングが悪かったですね」

 柴崎の指摘は当たっていたようで、堂上は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「そんなタイミングで、明日デートしろと脅された」

「おっ!脅されって・・・そんなに嫌ですか」

「嫌に決まっとろーが!!」

「ですよねぇー。笠原との約束は、当然・・・」

「キャンセル、だな。はぁぁ・・・一体、いつまで続くんだか」

「ふふ・・・堂上教官の愚痴、頂きました~♪レアなもの見せてもらったお礼に、しっかり調査します。だから、ちょっと我慢してあの人たちに付き合ってみてください。笠原のフォロー、私も協力しますから」

「ん・・・頼んだぞ」

 柴崎が少しぎこちない敬礼をして離れていくのを視界に入れながら、堂上は残りの食事をサッと済ませて席を立った。明日のことを考えたら溜め息しか出ない午後。郁との館内警備なのに、少しばかり気が重くなっているのを悔しく思った。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 翌日。

 いつも通りに起床。朝食も隊員食堂で済ませ、休日の日課として洗濯や部屋の掃除を済ませる。そうしてやっと自由な時間として、いつもなら外出や持ち帰った仕事や撮り溜めた録画番組鑑賞や、休日にしか出来ないことに時間を割くのだが。

今日は――デートか。

 この甘い響きに不似合いな仏頂面は、朝の食堂でタスクの輩に散々弄られた。――とは言っても、それは目立たないように。柴崎からの報告は玄田の元にも届けられていて、細心の注意を払うようお達しが出ている。

 そしてこの諸兄達は、堂上が嫌々付き合わされているということを強調するように、タスクの事務室で話をするのだ。勿論、郁の耳に入るように計算し尽して。

 

 

 さて、堂上と咲蘭はベタなデートコースを辿ることになった。堂上が誘った映画は、上映時間中は話さなくても済むから、という何ともマイナス思考な選択。理由は言わなかったが咲蘭には意図が伝わったようで、クスッと笑われたような気がする。

 咲蘭はドリンクとポップコーンを注文し「いつもこの組み合わせなんです」と、映画に誰と来ていたのか、それが頻繁だったのか、伺えるような笑顔を見せた。

 

 席に着くと、咲蘭がポップコーンを堂上に勧める。

「遠慮します。元々、間食をしないので」

「はぁ・・・図書隊の方って、どうしてお固いのかしら」

「他の奴らがどうかは知りませんが、俺に関して言えば、言われるほどではありません。そう見えるとしたら、それは俺が作り上げたものです」

「作って、お固く見せてるの?」

「見せているわけではないですが。俺は本来、直情型の人間です。若い頃その性格が災いして、隊に迷惑をかけたこともあります。それから俺は今の自分を作り上げてきたんです」

「・・・査問って、辛いんでしょう?」

ええ、っと肯定の返事をしかけて、堂上は動きを止めゆっくりと咲蘭の方へ顔を向けた。

「ふふ。多分、全部知ってます。堂上さんの図書大での成績も、図書隊入隊後の経歴も」

「それは―――」

「個人情報ですね。でも、今回の任務では必要なことではないですか?恋人となる人のこと、何も知らないんじゃ話にならないわ」

「俺は、あなたのこと知りませんけどね」

「あら、堂上さんらしくないですね。“任務”なのだから、ちゃんと恋人に見られるように細かい配慮してくださるものだと思ってました」

痛いところを突かれた。確かに咲蘭について知ろうとすることを避けていた。そんなものは必要ない、知りたくもない、面倒だ・・・と、完全に個人的な想いによる逃避だ。これでは本来の直情型人間の思考ではないか。“作り上げた自分”が聞いて呆れる。

「いいんです。あの人に偽装がバレなければ、それで。無理して私を知ってくれなくても」

伏し目がちにそう言うと、「さ、始まりますよ」とスクリーンを真っすぐに見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 堂上と咲蘭の初デートを境に、図書隊内で二人のことが噂されるようになった。一体どこから情報が・・・と思うが、これは賀川サイドが意図的に流している気配だ。

 当然、郁の耳にも噂は届いて来るし、直属の部下である立場上色々聞かれたりもする。そんな話は本人に聞け!と思わなくもないが、これを堂上相手に聞ける輩がいるならお目にかかりたい、という結論に達するから致し方ないだろう。

 

 郁は疲弊していた。当初の軽い考えは早々に吹き飛んでしまい、そこからは不安な毎日の連続だ。堂上と一緒に警備についていても、殆ど業務以外の会話は出来ずにタスクへ戻る。二人きりで話したいことが山ほどあるのに、全くもって時間が取れない。

 堂上も怒りと焦りを抱えながら仕事を熟しているのは明らかで、郁も併せて特殊部隊メンバーの気懸りとなっていった。

 

 

 堂上の極秘任務も二週目に突入した、ある日のことだった。

 郁と手塚が上官よりも先に昼食を摂るため食堂へ辿り着くと、待ってました!と言わんばかりの歓迎ムードで同期や年齢の近い隊員に迎え入れられた。

 手塚は瞬時に危険を察し、こっそりと柴崎へメッセージを送信。早く救出されることを心の中で祈り続けた。

 

「ね、笠原!噂で聞いたんだけど、とうとう堂上二正に恋人が出来たって?」

「相手は図書隊上層部の娘って、本当か?!」

「近々、特殊部隊で出世するって?」

 

 矢継ぎ早に質問攻めに遭う郁は、その内容の真偽に言及したくて言葉を探したが、自分の立場や今回の任務が極秘であることなど、様々な伏線が全て郁と堂上の仲を引き裂くだけのものになっていることに気付いて唖然とした。何も答えられないのだ。

 

「笠原―!知ってるんでしょう?教えてよ~~~!!」

 同期の広瀬の興味本位な尋ね方は、手塚の気に障った。

「堂上二正のことなら、俺にも聞いてくれてもいいんじゃないか?」

「あー。だってぇ・・・手塚じゃ話してくれなそうだもーん」

「ああ、話さないな。って言うか、笠原だって話さないぞ」

 広瀬はチラッと郁の様子を伺う。普段の明るい郁の空気が感じられないことを確認して、少し満足そうにしている。手塚にはそんな広瀬たちの真意が掴めた。

「お前ら、噂が真実かどうか、本当に知りたいのか?」

 それは低く、射抜くように広瀬を正面から見据え、手塚は怒りのオーラを隠すことなく対峙した。

「っ!・・・そりゃあ、知りたいわよぉ。本当なのかなぁって気になるしぃ?」

 上目遣いで手塚の機嫌を伺うように、尻すぼみな声になっていった。

 広瀬の言うことは半分本心であろう。だが、半分は別の理由でこの話を郁に尋ねているのだということが、手塚の怒りを買った。

 

「情報はね、確実なものでもすぐに手の内見せないのが利口な使い方よ」

 郁たちの背後から声がして、それは聴くだけで体温が下がるような冷気を纏ったもので、みな振り返るのを躊躇しているようだった。

「し、柴崎っ!!」郁の縋るような表情に、柴崎は溜め息を吐いた。

「手塚、よく知らせてくれたわ」

 柴崎は郁の肩に手を乗せ、手塚には目配せをした。それだけで手塚にはやるべきことが伝わる。柴崎の無言の指示に従い、郁を連れて食堂から出て行った。

 

 残された広瀬たちに向かい、柴崎は引導を渡す。

「アンタたちがしてること、笠原たちの上官に報告しておくわね」

 途端に皆の表情が固まった。

「あ、上官って言っても、堂上・小牧両二正じゃあないわよ?特殊部隊隊長を始めとする皆さんにね、ちゃんとご報告して笠原のこと守って貰わないとねー」

 

 頬を引き攣らせる様子には目もくれず、柴崎は立ち去る間際に広瀬に耳打ちする。

 

「笠原の気持ち分かってて、凹ませるようなことするなんて。アンタって嫌な女ね」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 昼食を食べ損なった郁と手塚は、食料調達に基地外へ出た。勿論、上官である堂上に外出の理由を述べなければならないが、そこは手塚が気を利かせて上手く乗り切った。

 

「手塚ぁ・・・ごめんねぇ」

「ばーか!こういう時は『ありがとう』でいいんだよ。お前の所為じゃないんだから」

「ん・・・ありがと」

 いつの間にかバディとして自然と連携の取れる仲になっていることに、感謝の気持ちしかない。郁と堂上との仲も、やっと受け入れられるようになった手塚は、とにかく二人を応援することに決めた。郁を一人前の図書隊員としてある程度は認め、そこまでの成長を遂げさせたのは堂上であるということも重々承知している。

 

「お前と二正が付き合ってることアイツらは知らないけど、でも広瀬なんかは気付いてるんだよ。お前が二正のことを好きだってことは」

「へ?!」

「そういうのは女子の方が鋭いもんだろ。お前の二正への気持ちを分かってて、わざと聞いたんだ。彼女が出来た噂をな」

 郁には思ってもみなかったことのようで、手塚の横顔をじっと見つめていた。

「なんだよ」

「・・・だから、怒ってくれてたの?さっき、手塚怒ってたよね?」

 その質問には答えず、手塚は郁の背中を少し強めに叩いて「行くぞ」と歩き始めた。

 手塚の背中を見送りながら、郁は小さく「ありがとう」と呟いて右腕で涙を拭った。

 

 

 

 

 

 

 小牧の元へメール着信があったのは、郁と手塚が基地外へ出た後だった。送信者は柴崎。内容は先程の食堂での一部始終であったため、確認しながら小牧の表情が曇った。

「ねえ、堂上。極秘任務の方は順調なの?情報部は何か掴んでくれた?」

「ああ、柴崎が頑張ってくれてるようだ。だが、今回は賀川一監サイドの動きが早くてな。情報を使おうと思っても、先手を打たれてる気がするんだ」

「なるほどねぇ・・・情報リークも、あちらさんの方が上手かぁ」

「リーク?」

「業務部内では、お前と咲蘭さんの話題で持ち切り。噂は実しやかに広がって、笠原さんが質問攻めに遭うまでに発展してるみたいだよ」

 言いながら小牧は自身のスマホ画面を堂上へ向けた。眉間に皺を寄せながら速読した堂上は、明らかに困惑の表情だ。

「笠原さん、気丈に振舞ってて健気だねぇ。健気過ぎて、抱きしめたくなっちゃうね」

「・・・お前なぁ。それが出来ないの分かってて、わざと言ってんのか」

「あー・・・ごめん。そうだね。堂上の所為ではなかったね」

 そう言われると、自分の所為だと思えてしまう。堂上は改めて郁との関係を振り返った。

 

 怪我も回復してやっと退院をし、夏から離れていた仕事に一日でも早く完全復帰したいと切に願い、それを実現できるよう懸命に仕事を熟してきた。それは堂上だけでなく、郁も同じように思っていてくれたから頑張れた、というのが本音だ。

 プライベートも多少は充実していた。長年想い続けてきた相手と、やっと気持ちを通じ合わせることができたのだ。それだけで満足できてしまう部分があったことは認める。だが、本当の所はそれだけで済むわけがないのだ。

「意識して郁とのことを隠してたわけじゃないんだ。休んでた間の仕事の把握が終われば、もっと時間も気持ちも余裕が出来ると思ってた。そのことで郁に我慢させてるってことも無かったはずだ」

「確かに、笠原さんは我儘を言うような子じゃないからね。でもさ、だからこそ堂上が一歩進めてやらないといけなかったのかもしれないよ?ちゃんとその辺の話はしてたの?」

「・・・いや。俺の勝手な思い込みかもしれん」

 小牧の小さな溜め息が、堂上には大きな責めのそれに聞こえた。

 

「任務とは言え、彼氏が他の女性とデートに出かけた。それってどんな気持ちだろうね」

 

 堂上の表情が無くなり、一点を見つめた。そんな考えは浮かんでいなかったのだな、と思わせるような様子に、小牧は再びの溜め息を吐く。

「今回の任務の一番肝心なところは、笠原さんを上手くフォロー出来るかどうか、だよ。賀川親子のことなんて、本当はどうでもいいんだ。お前と笠原さんの今後を占う、ターニングポイントになることに間違いはないよ。選択を間違えたら、取り返しのつかないことになるから、充分考えた方がいいよ」

「・・・いや、小牧。この任務を受けた時点で、既に間違っていたとは思わないか?」

 堂上の問いに答えは返ってこなかった。それが堂上の不安を煽る。

 

 任務だということに逃げていたんだと、今更ながらに気が付いて堂上は焦りを感じる。

 まだ間に合うだろうか―――郁の気持ちを汲み取る手段とチャンスはあるだろうか。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 隊内に広がった噂話は、誰もが知るところとなって堂上と郁を追い詰めていた。

 真実を話すことが出来ないもどかしさに、郁は徐々に元気を失くしていく。それをフォローしようと堂上はタイミングを計るが、賀川サイドに行く手を阻まれる。

 欲しい相手からのフォローを望めないことを知り、柴崎は懸命に郁を浮上させようと情報収集に精を出した。結果、咲蘭と元彼の関係の全貌がほぼ掴めてきた。

 

「元彼は田野井亮さんと言います。作家として細々と執筆しているようです。ですが実は近々、大作を発表しようとしているようなんです」

 

 特殊部隊隊長室で、主要メンバーを集めての報告会が開かれた。渦中の人を擁する堂上班は全員が招集され、居心地を悪そうにしている郁を心配している堂上に「ここなら存分にイチャついていいぞ」と玄田が真面目な顔で言い放ったのは余談だ。

 

「咲蘭さんは彼と仲違いをして別れたのではなさそうです」

「・・・どういうことだ」緒形が珍しく話を急いだ。

「これは彼女が彼を想って選んだ道、とでも言いましょうか」

 柴崎の声は咲蘭を責めるようなものではなく、同じ女性として理解できるとでも言いたげな、しかし立場上それは言ってはいけないと自制している様子であった。

 

「田野井さんの新作の内容を彼女は知っています。その上で、咲蘭さんは図書隊に近づいたんです」

「近づいた?」

「はい。多分、本当のところは父親である賀川一監にも話していないと思われます。彼女は、父親以外の隊員を通してやり遂げたいことがあるんです」

 柴崎は情報屋としての威信をかけた今回の任務で、知り得た全てを吐き出した―――

 

 

――今回の件でキーとなるのは、田野井の新作。

 過去の日本に於いて皆に与えられた権利「表現の自由」。現在は良化委員会の検閲によって各種メディアの多くを制限され、本来の自由は無い世の中になっている。

 表現の自由が当たり前にあった時代を取り戻すべく若い世代が立ち上がり、傷つきながらも権利を手にいれようと模索する・・・という、メディア良化委員会の気分を逆撫でするような内容であるらしい。

 

 この作品を田野井は何年もかけて書き続けている。まだ完成には至らずだが、ゴールは見えているそうだ。

 これが世に発表されるとなれば、内容の点で騒ぎになることは間違いない。良化委員会が黙っているはずがないのだ。

確実に検閲対象となる作品を何故書き続けているのか・・・咲蘭は当初、彼の考えを全く理解出来なかったというが、その気持ちも分からないでもない。現実世界を敵に回すようなストーリーの中で生きて、一心不乱にそれを書き連ねている彼の様子を見て、咲蘭は一抹の不安を感じながらも彼を理解しようと努力した。

 

 

 

「咲蘭さんは原稿を読んだんです。そして、彼女自信が彼の作品に感銘を受け、どんなことがあっても世に発表して欲しいと願ったんだと思います」

「・・・まさか、検閲対象作品を守って欲しくて図書隊に?」

「はい。少しでも情報が入りやすいポジションで、あわよくば防衛部と太いパイプを持って彼のために役に立ちたい・・・と」

「何とも・・・健気だね」

 重苦しい空気をさらうように、小牧が感じたことを口にした。

「だが、彼女は図書隊の存在を誤って理解しているな」

 緒形が腕組みをし、溜め息交じりで咲蘭の想いを一蹴した。

 皆の様子を伺いながら、この任務について言及したのは玄田だった。

 

「堂上。今の話を賀川一監に報告すれば、お前をこのくだらない任務から解放してやれる」

「はい。最終的には、そうしていただきたいですが・・・このままだと、咲蘭さんの想いを昇華させてやることが出来ません」

 堂上の答えは少し意外なものだった。

「お前は、彼女の作戦に乗ってやるのか?」

「いえ、そうではなくて・・・俺たちが、どんな覚悟を持って図書隊員として存在しているのか、ちゃんと教えて理解してもらいたいと思うんです」

 堂上の瞳には強い光が宿っていた。その決意を了承したのは郁だった。

「あたしも、咲蘭さんには図書隊のこと、ちゃんと正しく知って欲しいと思います」

 

 郁の言葉で全員が初心に帰る。

 図書隊のあるべき姿は、いつも郁が体現してくれていた。

 本と、本に携わる全ての人の想いごと守って行く―――その強い信念は関東特殊部隊のフラッグシップだ。

 

「教官、頑張って伝えましょう!」

 握りこぶしを作りながら郁が笑った。

 堂上は微笑み返したが、心に小さな棘が刺さったことも確認した。

 玄田たちは、そんな二人の今後が明るいものになると確信しているようだった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 女子寮の部屋で、郁は深い溜め息をひとつ吐いた。

 柴崎はそれに気付きながらも、敢えて言葉はかけなかった。代わりに二人が好きなフレーバーのティーバッグを見つけ、マグカップにたっぷりとお湯を注いでそれを浮かせた。

 

「ちょっと意外だったな。咲蘭さん健気で。本当に田野井さんのことが好きなんだね」

「あら。恋する女は、みーんな健気よぉ?アンタも例に漏れずね」

「えっ!?」

 郁の反応は予想通りで、柴崎はニヤリとしてからティーバッグをカップから取り出した。

「今回の件で、アンタの立場は辛いものだと思うわ。それでも、愚痴も零さずに堪えてるの、私は知ってる。もちろん、堂上教官もね」

 自分の苦しい胸の内を見透かされて、ちょっと恥ずかしいやら、嬉しいやら。そしてやっぱり、現状が辛いやらで郁の目には涙が滲んだ。

 

「咲蘭さんって、結構浅はかな人よ。でもね、それが見る人によっては可愛く思えるのよ。もう、抱きしめちゃいたいくらい可愛い!ってね。ま、一般論だけど」

「え、一般論?それに、教官は入ってる?」少し焦ったように。

「入って欲しいの?今の話で教官が一般論者に分類されたら、咲蘭さんのこと可愛いって思うってことになるけど。いいの?」

「良いわけ、ないじゃん!!でも、それじゃ教官は一般的じゃないってことになるし・・・」

「まったくもう!アンタこそ可愛くって抱きしめたくなるわよ!」

「それは、柴崎だから・・・」

「馬鹿ね。教官だってそうに決まってるじゃないの!」

「・・・自信ないもん」更に背中を丸めだす。

「しょうがない子ねぇ。教官がアンタ以外の女に興味もつなんてこと、100%無いわよ!」

100%?」

「そう。実際ね、教官が玄田隊長に言ったそうよ。100%有り得ないって!」

 

郁は唸りながら涙を流し、柴崎に優しく抱きしめられた。

「大丈夫。教官はアンタのことしか見てないから。もう何年もそうだったんだもん、今更よ。自信持って、ね?」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「わあ!この花屋さん、素敵ですね~!」

 咲蘭の言葉に促され、堂上もその店構えを視界に入れた。

 

 二度目の(任務)デートは、咲蘭の希望でウインドウショッピング。目的も無くただ歩くのを好まない堂上は、彼女の提案を聞いた時遠慮なく不愉快な顔を見せたが、結局は従った。

 

咲蘭が明るい声を聴かせたのは、何気なく花屋の前を通った時だった。

街の花屋としては規模が大きいように感じられた理由は、店舗と併設されているハーブガーデンの所為だろう。それは見事なハーブの庭園といったところだ。

 

――郁が興奮しそうな花屋だな

 

 それが最初の感想だ。彼女の、花が咲いたような笑顔が脳裏を過る。

 ふと、頭に浮かんだ郁の笑顔が、とても遠い過去のものに感じて寂しくなった。今浮かんだ形容の「花が咲いたような笑顔」で笑ってくれたのは、最近ではいつのことだっただろう。真剣に思い出そうとしても、明確な答えは浮かんでこなかった。

 代わりに思い出したのは、先日柴崎からの報告を聞いて、今後の咲蘭への対応をどうするか決めた時の、あの郁の援護の笑顔だ。

 そうして堂上は気付く・・・

 

――郁は心の底から笑っていない・・・?

 

 

 気付いて、足元を見たら崖っぷちだった――そんな衝撃だった。

 今回の任務に就いてから、郁は事あるごとに笑顔で堂上を掬い上げてくれていた。特殊部隊員である事など関係のない任務内容に腹を立てていた時も、賀川親子の自分勝手な言動に巻き込まれてゆく焦りを感じた時も、真実を語れずに断腸の思いで噂を黙認し続けている今でも。堂上の心が少しでも揺らいで郁を見つめると、彼女は必ずその視線を受け止めてニコリと笑うのだ。

 

 『大丈夫です』

 

 郁からは、いつもそう聴こえていた。防衛員としてやっと体現出来るようになった自信のように、胸を張って強気に言い張る時の表情のままに。

 しかしその瞳には、堂上への愛しさが溢れんばかりだった。堂上が自信を持って「愛されている」と言えるくらい明確に。きっとそれは意図したものだったに違いない。

 

 

 

「私、名前がお花に由来してるでしょ?だから花が好きなんです」

 咲蘭が頬を染めながら堂上へ話しかけてきた。

「・・・堂上さん、どうしたんですか?」問いかけられて、やっと堂上は顔を向けた。

 咲蘭は堂上が見つめていたハーブガーデンに目を遣ると、少し残念そうに「あらぁ」と声をあげた。

「ハーブね。種類も多くて手入れが大変そうだわぁ。見事だけど・・・やっぱり色とりどりの花が咲いてる方が、私は好き。ハーブって、見る人によっては雑草としか認識されないんですもの」

「・・・咲蘭さんは、賀川一監の仕事に興味を持たれたことはありますか」

「え?・・・父の?」堂上の質問は意図の掴めない内容で、突然すぎて咲蘭は戸惑う。

「図書隊の存在意義について、親子で話し合ったことはありますか」

「・・・いえ。正直、大学に入るまで図書隊に興味なんてありませんでした」

「でしょうね。お父上と少しでも図書隊について語り合っていたのなら、或いは少しでも興味を持っていたのなら、きっとこの場でハーブのことを雑草などとは言わなかったでしょうから」

 堂上はある一点を見つめていた。それは咲蘭が堂上と知り合ってから初めて見る、まるで恋人を見つけたかのような柔らかい表情で。

「堂上さん、それは?」

「カミツレです。あ、カモミールと言った方が馴染みがありますか」

「あぁ・・・ハーブティーとか、香りの成分で見かけますね」

「図書隊の、記章になっているのがカミツレです」

 

 堂上はカミツレの花言葉と稲嶺の想いを告げた。その想いに惹かれて図書隊のあるべき姿を追い求めて訓練を続けていることや、郁の存在そのものが稲嶺の想いを体現していると捉えていること、カミツレは強い華だということを淡々と語った。

 本当は咲蘭にそこまでの説明をしてやる義理は無い。話してなんかやりたくなかった、というのも本音だ。だが、カミツレを雑草と捉えられるから華やかな花を咲かせるものにしか興味が沸かないなどと言われて、その上「花が好き」とほざかれて、堂上には怒りしか湧き上がってこなかったのだ。

 

「笠原も花が好きで、いつも事務室に花を欠かしません。でも彼女が一番好きなのは、鑑賞が目的の華やかなものではなくて、普段なら人目につかないような地味なものです。そんな地味な花でも、俺たちは毎日癒されているし、大切なことに気付かされているんです」

「大切なこと?」

「俺たちが守るのは本。そしてそれに携わる全ての人たちの命と想い。そこには敵も味方も関係なく、全てに平等である気持ちを持つことが大切だということです」

 

 咲蘭が図書隊の理念に触れたのは初めてのことだった。図書隊とカミツレの関係がぼんやりと形を成してくる。

 

「咲蘭さん、お分かりですか?俺たちは、何かを――誰かを選んで守っているわけではないんです。図書隊員として正しいと思える方を目指して、目の前で起きたことに立ち向かっています。もし戦う相手が肉親だとしても、図書隊の理念を捻じ曲げることはありません。ですが、相手の想いも全て受け止める覚悟は出来てます。

 それが――図書隊員である俺たちの進むべき道だと確信しています」

 

 堂上は願っていた。

咲蘭が考えていた田野井を守る計画は、無駄なことだったと気付いて欲しいと。そんなことをしなくても、図書隊は図書館に収められる書籍を守る手立てを講じ、必要とあらば閲覧を限定して利用者に提供も出来る。

本当は検閲自体を失くしていけたら――と思うこともあるが、それは一隊員の想いだけで成し遂げられることではない。

いつかそんな日が来ることを願って、与えられた環境で出来る限りの努力をする。

今はそれだけで精一杯だ。

 

堂上の言葉を消化しようと、咲蘭は思案の様子。

 デートの後半、咲蘭は何も語らなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 玄田が賀川の元へ出向いたのは、それから二日後のこと。

 予告して隊長室を出て行った玄田から、内線で堂上が呼ばれる。渋々と賀川と玄田の待つ小会議室へ向かった堂上の背中を見送り、タスクの面々は自然に一か所に集まってきた。

 

「なあ、笠原。柴崎が掴んでくれたネタで、隊長は賀川一監へ引導を渡しに行ったんだろ?これで晴れて、堂上はお役御免だな」

「そう・・・なればいいですね」

「何だよ。まだ何か心配事でもあるのか?」

 郁の様子の方が心配になる進藤は、仲間たちに目配せしてその場の空気を打開することを考え始めた。

 

「娘の浅はかな考えに、振り回された一監も立場無いよなぁ」

「隊長はこれを公にしないで、行政派の一監の弱味を握った形でいきたいんだろ?」

「あの人のことだ。ただじゃ起きないよな」ニヤリと嗤い合う。

「で、図書隊内のことは隊長に任せるとしてだ。問題は堂上と笠原のことだよ」

「だな」

 隊員の言葉に郁が若干慌てだす。

「な、なんですか!あたしと教官のことって!」

「笠原よ。堂上は今回の件で、律儀にも娘に改心させるチャンスを与えてやってるそうじゃないか。お前も了承したって?そこまでする意味あんのか?」

「まあまあ、そこは堂上と笠原さんの気持ちを汲んでやってくださいよ」

 進藤たちを宥めたのは小牧だ。不器用だけど自分の気持ちに正直に生きたいと思っている堂上と郁の想いを一番に理解してくれている。

「それなら、図書隊としての俺たちの想いは堂上と隊長と、出来れば父親である一監に伝えてもらうとしてだな。笠原!」

「はいっっ!!」条件反射の敬礼付き。

「笠原!女は度胸だ!ここは、正真正銘の堂上の彼女として、賀川一監の娘に一言物申せ!」

「そうだぞ。言える立場なのは、笠原だけだろう!」

「いや、みなさん、待ってくださいよー。笠原さんがそういうの苦手なの分かってるでしょー!無暗に煽って、変な方向に拗らせたらどうするんです?」

 やはり進藤たちを抑えるのは小牧だった。

「小牧よ。堂上だってこの状況を打開したいと思ってるんだろ?思わないはずないもんな。その手助けだ。堂上も笠原が行動を起こせば黙っていられなくなるだろうよ」

「それは・・・そうかもしれませんが・・・」

「な?笠原。お前たちの将来のためにも、ここは一発、あのバカ娘にガツンっと!!」

「はあ・・・でも、なんて言えばいいのか・・・」

「そんなの、『あたしの教官を返してください!』だろうが!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あ、あたしの教官をか、返してくださいっ!お願いしますっっ!!」

 

 堂上は目を瞠り、咲蘭は薄く嗤った。

 特殊部隊庁舎の1階ホールには、郁の声が反響している。同じくらい、堂上の脳内にも反響しまくっていた。

 

 玄田に呼ばれて行った先には咲蘭が同席していた。

 後で聞くと、玄田からの報告を親子で黙って聞いていたらしい。咲蘭は慌てる様子もなかったそうだ。堂上が入室した後も、淡々と落ち着いた雰囲気で話は進んでいた。

 賀川は父親としての体裁が悪かったのか、いつもの上からな物言いは無かった。任務のことも終了で構わないと言うのみ。そして咲蘭もそのことについて反論も無く諦めたようにも見えた。

 

 そうして静かに話し合いを終え、堂上は咲蘭を基地の正門まで送るために出てきたのだが、ホールで郁とばったり遭遇したところで、突然の郁の叫びだった。

 

「郁―――」 

真っ赤になった郁は、それはもう可愛くて。最近の微妙な距離感を忌々しく感じていた堂上にとっては、そろそろ我慢の限界だったことは本人も承知している。だから、自然に郁の方へと手が伸びていく――――が、

「笠原さん?あなたのお気持ちは分かりますが・・・今一度、改めて考えなおしてみたら如何です?」

「は?」堂上の動きが止まり、その手は郁には届かなかった。

 

「今回のこと。確かに、彼氏のフリをお願いしたのはわたくし達の方です。それをお引き受けいただいて、とても感謝しています。ですが、元々この話をどうして堂上さんにお願いすることになったのか、あなたご存じ?」

「・・・」

「お二人が付き合っていらっしゃること、他の隊員さんが殆ど知らなかったから。ただそれだけだと思っているのかしら?」

「違うんですか?」俯いていた郁が僅かに顔を上げた。

「ふふ・・・その上で、もしあなたたちのことを思って、誰かが真実をバラしたとしても、私の存在があれば簡単に噂はウソだと思われるから」

「そんな上手い事、あなたの思い通りになりますかね」堂上は、まだ辛うじて残っている自信の欠片を集めて、咲蘭を睨みながら言い放つ。

「あら。簡単でしたよ?実際、噂はあったんです。この件が始まる前に。でもすぐに消えました。何故でしょう?」

「揶揄ってるんですか?」

「揶揄いたくもなるわ。自分たちがしてきたこと、すっかり忘れてのぼせ上って。馬鹿みたいよ?――みんな、あなたたちが付き合うなんて、これっぽっちも信じられないって。入隊したての新人が、錬成教官に反抗して噛みついて、犬猿の仲以外何者でもなかった。・・・ですって」

 郁の表情から血の気が引いた。瞬間、堂上は郁の身体を支えるために大きく足を踏み出し距離を縮めたが―――

「大丈夫です!こんなことくらいで・・・大丈夫」

 自身に言い聞かせるかのように、最後は呟いて体制を立て直す。咲蘭としっかりと対峙する郁の姿勢に、堂上は言いようの無い愛おしさを感じた。

 

「何よりの決定打は、堂上さんご本人の行動でした。アレがなければ、こうも上手く情報操作は出来なかったでしょうね」

 咲蘭は、郁を見つめる堂上の横顔に向けて言う。郁にはまるで、咲蘭が堂上の気を引こうとしているかのように思えた。

 

「笠原さんの入隊が決まった時の、箝口令」

 

 堂上と郁、ほぼ同時に咲蘭に視線を移した。

 堂上には見る見るうちに眉間に皺が寄る。郁は「箝口令」という言葉の意味を検索するような不思議な顔をしていた。

「茨城の書店で、見計らいをして笠原さんを助けたのが自分だとバレないよう、みなさんにお願いして回ったんですよね?あの時にお願いされた方が言ってたそうです。『良い思い出じゃないだろうから、気持ちは分かる』『査問の苦しさを思い出したくないだろうな』それから―――

「もういい!」堂上が咲蘭の話をぶった切った。「やめてくれ」と弱弱しい声を聴かせると、切なげに郁の表情を捉えた。

 郁に何か言わなければ、と堂上は言葉を探すが、思いつくのはどれも陳腐で、郁の不安や寂しさを解消してやれるだけの自信がなかった。迷っているうちに、郁の方が先に言葉を見つけてしまう。

 

「分かってました」

 

 堂上は瞬時に拙いと感じた。郁の声が何かを吹っ切ったような含みを持っていたから。

 

「あたし、分かってたんです。堂上教官があの時の王子様だって知った時から。あたし、教官に嫌われてるかもしれないって。辛い目に遭わせた張本人ですもんね。恨みの一つも言いたくなるだろうなぁって。でも、教官は何にも言わないの。見計らいの事、触れてもくれない。そっか、忘れたいんだなぁって。あたしにとっては最高の出逢いの日だけど、教官にとっては辛い日々の始まりだったから、全部きれいに忘れたいんだろうなぁって。

 箝口令かぁ・・・あたしが面接の時に、王子様のこと熱く語っちゃったから。これ以上、思い出したくないってことだったんですね」

「郁!違う。そうじゃなくて―――

「大丈夫。分かってます。今は、そんな風には思ってないんですよね。うん、大丈夫」

 

 そう言って、郁は堂上へ向けて笑顔を見せた。

 それがあまりに綺麗だったから、堂上は釣られるように微笑んだ。

 

「教官、あたしのことは気にしないでください」

「郁!」

「大丈夫です。いつも言われているように、斜め上?とか突っ走らないようにします」

 がんばります、っとガッツポーズまで作ってみせる。

何が大丈夫で、何を頑張るんだか、そこが一番重要で話さなければならないことだと分かってはいたが、今ここで十分な話し合いが出来るような状況ではないことも明らかだ。

 堂上が何か言い淀んでいる様子を見た郁は、「お邪魔しました」と一礼して踵を返した。

 

 郁を追いかけようとする堂上の腕を咲蘭が掴む。

「離してください」

「いやです。まだ終わってませんもの」

「俺の任務は終了したはずですが?」

「そうですね。恋人として振る舞う任務は終わりました。でも、まだ隊内では私との噂が消えていません。だからまだ終わってません」

 堂上は郁を追うのを諦める。彼女の足の速さを誰よりも知っているし、とにかく今は咲蘭にちゃんと理解してもらうことを優先して、一刻も早く元の環境に戻すことが重要だ。

 

 

「咲蘭さん、俺はあなたに言ったはずです。俺たちは、誰かを選んで守っているわけではないと」

「ええ。だからあなたは、高校生の笠原さんを守ってしまった。それが原因で査問会にかけられて辛い思いをして。自分にも他人にも厳しくあろうとしたのは、あの時の自分への戒めですか」

「・・・自戒はありました。見計らい権限は、一隊員が勝手に使っていいものではなかったし、現に派閥争いのネタにされた。しかしあの時、高校生の笠原を救うことは図書隊員としての使命だと思ったのも確かです。

 俺は『誰か』を選んだんじゃない。俺自身が図書隊員であることを選んだんです」

 

 告げて、思い出す光景に郁の背中が浮かんだ。

 本を守ろうとした郁の姿は、そのまま堂上が目標とする図書隊員の姿に被る。

 

「笠原だったから助けたわけじゃない。でも、笠原じゃなかったら助けることにはならなかったかもしれない」

「・・・どういう意味ですか?」

「あの時、良化隊に本を奪われたのが笠原じゃなかったら、『警察呼んでください』なんて言わなかったでしょうから。万引きの汚名を着ることなんて考えもしないでしょう。笠原だったから、その発想が生まれて、良化隊と揉めて。それを俺が助けた」

 

 

 記憶の中の郁の背中に問いかける。

――見計らいは、助けになったのか?  と。

 振り返った高校生の郁は、薄っすらと涙を滲ませ笑顔で呟いた。

 

――『助けてくださって、ありがとうございました』

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

堂上が何か言い淀んでいる様子を見た郁は、「お邪魔しました」と一礼して踵を返した。これ以上、咲蘭との時間を増やすのは居た堪れない。これは任務なのだと懸命に言い聞かせても、何かがマイナス思考へ導くように様々なことを思い起こさせる。

 

 

 

――失敗だった

 

 溜め息が零れた。

 特殊部隊の優しい兄たちが、自分と堂上のことを考えてくれていたのには気付いている。現状を何とかして打開しようと、色々裏で立ち回ってくれているのだ。だが、郁自身が咲蘭に直談判するのは得策ではなかったような気がする。相手の方が一枚も二枚も上手で、どんなネタを仕入れても敵いそうもないと思えてしまう。

 

「・・・あはははは」―――郁は力なく笑った。

堂上が極秘任務を拝命してから、心の底からの笑いは浮かばない。いつも心細くて、寂しくて、たまに意識して声を出して笑ってみても、重く沈みそうな気持を浮上させる力は得られなかった。

 

――自信が無い

 

 女として、彼女として、一人前の図書隊員として。郁が持って然るべき自信は、今は何一つ見当たらない。

 

「あははははー・・・」

 もう一度声に出して笑ってみた。

「笠原さん?」

 背後から聴き慣れた優しい声が届いた。郁は振り返りながら「小牧教官?」と声にしたのだが、視界に入った小牧の表情は何とも情けない、弱弱しいものだった。

「どうしたの。泣いてるの?笑ってるの?」

「くぅっっ・・・どっち、でしょう、ね・・・」

 

 そう言って、郁はまた「あはははは」と声を上げながら涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 その時、彼女は笑った

 

 

だけど―――

 

 

 

彼女は、本当は泣いていたんだ

 

悲しくて笑った彼女を

 

誰も責めたり出来ないよー――

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 堂上の極秘任務は終了したという報告が特殊部隊に届いたのは翌日朝。しかし、隊内で噂となっている堂上の結婚話などの対処については、何の話も無い。

そしてそのことに関して郁は驚くほど冷静な反応を見せていた。だがそれはあくまでも表面上で、本心は我慢ならないくらい怒りも寂しさも感じていることは明らかだ。

 

この任務の話を聞いた時から、特殊部隊員は一つの想いを胸に日々を過ごしてきた。我らが姫と、想いが通じ合った王子様との恋模様にもっと進展があるようにと願っていたのだ。この危機的状況に乗じる形を考えたのは、進藤を始めとする優しい兄たちだったが、彼らの計画を知る小牧は事の成り行きを心配しながらも、進藤たちの動きを完全に止めるまでに至れなかった。

だから、諸兄たちが郁を煽って咲蘭の元へ行かせたことを大いに悔いていた。タスクが絡んだ案件で、こんな失態を招いたことは過去にあっただろうか・・・。

大きなダメージを喰らって帰ってきた郁を見て小牧は居た堪れず、ずっと堂上と郁へ心中で詫びを入れているほどだ。

 

郁のことを考えると胸が苦しくなる隊員たちは、堂上が自ら一歩も動かないことに焦れていた。郁の心の澱を掬い取ってあげられるのは堂上のほか居ない。様子を見ながら堂上へ喝を入れるタイミングを計っていた皆を代表して、タスクの常識人・緒形が痺れを切らせて堂上を捕まえた。

 

「堂上、お前は笠原をどうしたいんだ」

「どうって・・・とりあえず話し合いの時間を作って―――

「その前に、笠原は何かしら腹を括るかもしれんぞ」

「腹を括るって・・・一体、どういうことですか!?」

「あの『箝口令』の件は、痛いところを突かれたな。それに対して、笠原が冷静でいるってのが気になる。もっと感情を見せてくれるもんだと思ってたがな」

 緒形こそ、冷静な分析をしているのだなと思わせる口調だった。だからこそ、次に出てくる言葉に何かが宿っていそうで、聞くのが怖いような気もしてしまう。

 

「笠原にとって、王子様の存在がどれだけのものだったか。お前は分かっているつもりかもしれんが、きっとな正確な理解はしていないんじゃないか?」

 王子様と箝口令―――堂上にとっては鬼門とも言える二つの言葉の登場には、どうしても身構える事が前提になってしまう。

 

「笠原が今、図書隊員として立派に存在しているのは何故だ?」

 真剣な緒形の表情を見つめながら、堂上は郁とのこれまでを思った。

「笠原が図書隊員であるのは、王子様を追った結果だ。厳しい訓練に耐えてきたのも、王子様に胸を張っていたかったからだ。そして、どこに出しても恥ずかしくない隊員に育ったのは、堂上、お前の教育の賜物だ。

 今の笠原があるのは、全てお前の存在があってこそだってことだ」

 

 

 

 

――『助けてくださって、ありがとうございました』

 

 それは現実には無かった郁の姿と言葉だ。しかし堂上の記憶の中で、彼女は確かに成長し、彼女の意思を持って堂上に笑いかけてくる。願望でも妄想でもないと思える、それは確かなものだった。

 

 堂上が顔を上げると、緒形と視線が合う。それだけで緒形には堂上の考えが読めたらしく、ふわりと優しい笑みを漏らすと「お前たちはこれからだ」と言って隊長室へ向かおうとした。―――そのとき。

 

「居た!堂上教官!!笠原が、食堂で―――」

 柴崎が息を切らせてやってきた。

郁の名を聞いた途端、堂上は部屋を飛び出して行った。

 

 

 

 

「柴崎、笠原がどうした?!」

「食堂でお昼ご飯食べてます」

 

「「「・・・は?」」」

 

柴崎はニヤリと嗤った。それだけでどんな展開が待っているのか予想がついてしまう、有能な特殊部隊の諸兄たちは我先にと堂上の後を追って行った。

 

 

 

「ふふ・・・私も行こうっと♪」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 郁は手塚と共に昼食を摂っていた。

 ずっと続いている堂上の噂話も、先程からちょこちょこ聴こえてきているが気にしない。

 

「ねえ、笠原ぁ。その後、どうなのよー?」

 狙ったように広瀬が近寄ってきた。即座に手塚が睨み付ける。

「何のこと?」

「堂上二正よ。何か情報入ってないの?」手塚の睨みは無視したようだ。

「あー、それね」

 郁はチラリと手塚に視線を遣り、それをすぐに外して「全部ウソだよ」と告げた。

 

「え?なに?」

「ん?全部、ウ ソ!」

「は?どういうことよっ!ウソって何が?結婚?出世?まさか、付き合ってるって話?」

「だーかーらー!全部って言ってんじゃん!」

 

 広瀬たちが呆けている所へ、件の人・堂上が慌てた様子で到着した。

「い・・・笠原!何した」

「えっ?な、なにも・・・あ、いや、本当のことを話しただけです!」

「ん?本当のこと?」

 想定外の郁の返事に、堂上の思考もストップだ。そこへ広瀬たちが容赦なく攻め入ってくる。

 

「堂上二正!ご結婚されるって話、ウソなんですか?!」

「笠原が、二正の噂は全部ウソだって言うんです。全部って、どういうことですか?!」

 やんややんやと堂上の周りで五月蠅く騒ぐ広瀬たちを一瞥し、再び郁へ視線を戻した堂上は、柴崎のアレは芝居だったと理解する。普段なら柴崎の策略に嵌った自分に怒りを覚えるところだが、今日は勢いに任せてここまで来れたことに感謝するべきだと思った。

 郁と目があった瞬間、堂上は敢えて微笑んでみた。その上で、未だに五月蠅い広瀬たちに向き合って一喝する。

 

「全部と言ったら、全部だ!!

 そもそも、俺が付き合ってる相手からして間違いだっ!!」

 

 この時食堂入り口に辿り着いた進藤、柴崎たちは、中の様子をこっそりと伺っていた。

「・・・え?それは、堂上二正が誰かとお付き合いしているって点は本当だということですよね?」おずおずと尋ねられる。

 堂上は意を決して―――郁の腕を取り立ち上がらせると、そのままの勢いで抱きしめた。

 広瀬たちから悲鳴が上がった。

 

「なっ・・何するんですかっっ!!きょ、きょーかん、バカじゃないのっ?!」

 突然のことに郁は混乱。

「ああ、そうだな。俺はお前にとことん狂ってるからな。

でも、お前はこんな俺のことが好きだろ?」

耳元で囁かれ、郁は真っ赤になるばかりだ。その様子に、また周囲から悲鳴が上がる。

こんな時なのに・・・いや、こんな時だからこそ客観的に見ることができて、郁は自分の状態とこれらを作り出している堂上の行動にドキドキする気持ちを、怒りに変換させてぶつけたくなった。「きょーかんの、ばかぁぁぁ」と呟きながらも堂上の背中に腕を回す。

 

「・・・くやしいけど・・・だいすきですぅぅぅ!!」

 

 郁は嬉しくて泣いた。

 その絞り出したような返事に、堂上は笑った。

 

 

 

「俺もだ、郁」

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 翌日。堂上と郁は揃って館内警備に出ていた。

 昨日の食堂での出来事は、瞬く間に隊内に広まっている。よって館内を二人で歩いている間中、好奇の目で見られているのをヒシヒシと感じていた。

 だがそれは、心地の良いものへと変換されるから不思議だ。漸く公表できたことは、二人のこれからにとって間違いなく良い事だったと言えるだろう。

 

 郁が微かに頬を染めながら堂上の一歩後ろをついて歩く。その初々しい様子に糖害を受けながら、二人を生温く見守り続けた人たちは満足の表情で改めて二人を見つめる。

 館内が何となく色付いた空気になっている中、柴崎が二人を呼び止めた。

 

「堂上教官!笠原!!お客様よ」

 

 

 

 

 

 

 

「見事な抱擁だったそうですね」

 くすくすと笑っているのは咲蘭だ。

 

 柴崎に呼ばれて図書館から外へ出ると、入り口手前のベンチに座っていた咲蘭は立ち上がってお辞儀をした。釣られてお辞儀を返しながら、堂上と郁は咲蘭の前に並んで立ったのだ。

 

「やっとお二人の仲を公にできて。私は感謝されるのかしら?」

「あー、そうですね。咲蘭さんのお陰ですね。ありがとうございました」

 郁は素直に礼を言って頭を下げた。その行動に咲蘭は驚き、目を丸くして堂上を見た。堂上は肩を窄めて眉を下げた。

「特別驚きはしないってところかしら?笠原さんって面白い人ね」

 先日までなら上からな物言いに聴こえていたかもしれない咲蘭の言葉も、今は正直な反応と受け取れる。

 

「咲蘭さん。田野井さんの新作、完成はいつになりそうですか?」

「・・・来年かしらね。もしかしたらもっと先かも」

「そうですかぁ。あたし、読みたいなぁ」

 咲蘭が郁を見つめた。その視線に負けない強さで、郁は咲蘭を見つめ返した。

「田野井さんの書きたいモノって、きっと咲蘭さんに向けた気持ちの集大成です」

「え?」

「その新作って、書き始めたのいつですか?」

「・・・大学4年の春、だったかしらね」

「咲蘭さん、その時にはもう、お付き合いしていたんですね?」

「ええ。2年生の冬からの付き合いだから」

 咲蘭は遠くを見るようにした後、すぐに自身の足元に視線を落とした。

「咲蘭さんのお父さんが図書隊員だと知って、少なからず親近感を持った田野井さんは、咲蘭さんと図書隊の話をします」

「・・・ええ。そのことがあって、初めて図書隊について知った部分があったわ」

「咲蘭さんは、作家という田野井さんの立場から、自身の味方についてもらいたい一心で図書隊員の娘である自分を大切にしていると思うようになる。つまり、作家や作品を守ってもらえるんじゃないかと期待して自分と付き合ってるんじゃないかって疑うようになった」

「・・・そうよ。私と付き合うメリットなんて、そんなものでしょう」

「でも実際は違うんです」

 郁は語気を強めて、しっかりと咲蘭に視線を置いて話し続けた。

 

「田野井さんは、咲蘭さんとお父様との関係を心配されてました。作家には検閲に怯えて執筆している者や、検閲と戦うことを心に決めて書きたいことを書いていく者がいて、皆メディア良化法に立ち向かっている立場の人間です。そんな立場の自分との交際を図書隊の幹部である父親に話せるのか・・・面倒なことに巻き込まれるのを嫌がられたり、交際を反対されたりするんじゃないかと。だからさりげなく聞いたんです。咲蘭さんの親子関係を。そして分かったのは、咲蘭さんが図書隊に何の興味も持っていなかったこと。それはきっと、父親としては寂しいことだろうと田野井さんは想像したんです。

 咲蘭さんと父親である賀川一監のことを想って、田野井さんは執筆を始めます。メディア良化委員会と対峙する若者の話です。書くことで法律に対抗する作家と、武器を持って対抗する図書隊、それぞれの立場で愛する人を守ろうとする主人公とその仲間たちは、自分たちが生きる道が間違いではないように、良化隊員の選ぶ道も間違いではないんだと言っています」

 

 郁の語る内容は、まるで田野井の作品を読んだかのように具体的だった。咲蘭は何度も「どうして?」と呟いていた。

「郁、もしかして柴崎か?」

「はい。田野井さんの書きかけの作品、読んだみたいです。柴崎がどんな手を使ったのか分かりません。教官とあたしのためにそこまでしてくれた柴崎に感謝してます」

 柴崎と語り合った時を思い出し、郁は目頭を熱くした。

「あたし、田野井さんの作品、読みたいです。素直にそう思いました。お互いに道は間違っていないのに、戦わなきゃならない世の中であること、一緒に考えたいんです。

ここが、あたしが選んだ道だから」

 

 郁の言葉に咲蘭は涙を浮かべて「ありがとう」と言った。

 咲蘭が田野井の元へ戻れば、執筆も進むだろうと郁は想像していた。それを心から願いながら、咲蘭に別れを告げた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 咲蘭の姿を見送る郁を、堂上は目を細めて見つめていた。

 少しして振り返った郁に、ニコリと笑いかけられる。それは溢れるような喜びの笑みだった。堂上はずっと心の中にかかっていた靄が晴れていくのを感じた。

 

「なあ、郁。ひとつ聞きたいことがあるんだ」

「なんですかぁ?」

「もし今、見計らいのあの日に戻れたら・・・お前は俺に何か言いたいことはあるか?」

 郁の瞳が揺れたのを確認した。

「あの日の・・・三正に?」

 堂上が不安げに「ああ」と答えると、郁は一歩近づいて堂上の両手を自身のそれで掴んだ。

 

 

「・・・助けてくれて、ありがとうございます!」

 

 

 

 顔を上げた堂上と視線をしっかり合わせて、郁は再び小さく「ありがとございます」と呟くように言って抱きついた。

 泣き顔を見せない為だったようだ。顔を埋めた肩から鼻をすする音が聞こえる。

 

 

「それは俺のセリフだ。

 この道を選んでくれて、ありがとうな、郁」

 

 

 

 やっと伝えられた言葉が、幸せを纏って返ってくる。

自身の心を追い越して気持ちが溢れる郁は、嬉しくて泣いた。

 

 

 

「これから先も、郁の笑顔と涙を俺が漏らさず掬ってやる」

 

――それが 俺の選んだ道だから――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin

 

 

 

 

 

** おまけ **

 

 

 

「心配して来てみたけど。これで完璧に任務完了ですね」

「ああ、めでたし、めでたしだな」

 

 柴崎と進藤が陰から堂上たちを見守っていた。

 

 

「それにしても・・・あの二人の関係がバレましたから、これからは大いにイチャつかれますねー」

「しかたねぇなぁ」

 

 今まさに、二人を覗き見ながら糖害に遭っている状態だ。

 

 

「そうですね。これが私達が選んだ道、ですものね♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  おわり

 

 

 

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comment iconコメント ( 2 )

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名前: - [Edit] 2016-12-31 21:37

くんちゃんさんへ

見つけてくださってありがとうございましたm(__)m
こちらでこっそり始めてました(*'▽')
これからも地道に書いていくので、どうぞよろしくお願いします♡

名前: 悠@c.you [Edit] 2017-01-10 12:40

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